人と情報社会の250年を生態学史観で紐解く(IT全史 / 中野明)

人と情報社会の250年を生態学史観で紐解く(IT全史 / 中野明)

「IT全史ー情報技術の250年を読む/ 中野明」面白かった。

とあるお仕事で勉強のために読み始めたのだけど、普通に面白くて一気読みしてしまった。

「腕木通信→電信→電話→無線→ラジオ→テレビ→コンピュータ→インターネット→(IoE/ビックデータ/AI)→シンギュラリティ」という18世紀末から21世紀半ばまでの250年間を対象に情報技術の歴史をたどり、その可能性がいかに展開されたかを著したもの。

特筆すべきは、文化人類学者の梅棹貞夫さんの生態学史観を以って情報通信というものを捉えていること。

植生群と環境が相互作用しながら不可逆的な変化をしていく遷移をアナロジーに人類の社会情報基盤の発展を辿っているので、

装置群(人間が作り出した、人間を取り巻く有形無形の人工物)と呼ばれる周辺領域や人々の欲望の蓄積が、閾値を超えると前段階とは断絶した非連続的な変化がもたらされていく過程、つまり人間社会のトランジッションを紐解く上でとても参考になる。

テクノロジーは人や社会との相互作用の中で用途が決まり、可能性を展開していくものだということもよくわかる1冊。
(エジソンが蓄音機の可能性を10も列挙し、音楽の再生は4つ目に過ぎなかったというエピソードがまさに)

 

・セリグマンの幸福の公式:幸福= 遺伝による規定値+生活環境+意思に基づく活動

・ケヴィンケリー のテクニウム=構造的必然性+歴史的偶然+意図的開放性

・社会を変革するテクノロジーの誕生(本書)=歴史的必然+技術的蓄積+選択的意思決定


こうみると、かなり色々とシンクロしているなぁ。。。


ーーーー(以下、メモ)ーーーー

■プロローグ:生態史観から見る情報技術

・情報が社会や経済にとって重要な役割を果たすと考えられうようになるのは、1960年代に入ってからのこと。民族学者で国立民族学博物館初代館長・梅棹貞夫は、この点をいち早く指摘した人物として著名。

・1961年に、造語である「情報産業(放送事業のような情報を扱う産業)」という語を初めて用いた。情報産業の時代の到来を1960年代はじめから予想。(ちなみにマーシャルマクルーハンがメディア論で「メディアはメッセージである」を記したのは1964年n、アルビン・とフラーが「第三の波」で情報社会の到来を主張したのは1980年代に入ってから)

・梅棹は情報の重要性を世界に先駆けて指摘するだけでなく、「情報生態学」や「文明の情報史観」と呼ばれる独自の視点と切り口で、生態学や文明学の立場から情報を捉えるアプローチをすべきだと主張。梅棹がいう「文明」とは、巨大な工業力や交通通信網、完備した行政組織や教育制度など、人間が人工的に作り出した装置群および制度群とでつくっているシステムを指す。この文明の発展について生態学の「遷移(サクセッション)」をアナロジーに利用して論じたのが、「文明の生態史観」に他ならない。★

・遷移とは一定の土地で生育する植物群のありようが、時間の経過とともに不可逆的に変化する様子を指す。裸地にコケ・地衣類がしょうじ、やがて草、低木、陽樹性の高木(アカマツやシラカバなど)、陰樹性の高木(カシやブナなど)へ発展する植物群の変化は遷移の典型と言える。この遷移は、主体としての植物群と、植物群を取り巻く環境とが相互に作用し、その結果が積もりに積もって現状の様式では対応しきれなくなるために生じる。★

・情報を生態学の観点から捉え直すのが情報生態学の立場であり、情報が人間の作り出した人工的な装置や制度、組織に根本的な変革をもたらすという立場から人類の文明史について見るのが文明の情報史観の態度になる


情報技術の生態史観を目指して

・遷移を用いて情報技術の歴史を見るとどうか。

1.それぞれの遷移の段階が、前段階と断絶している点。苔が進化して草になるわけでも、草が進化して低木になるわけでもない。環境と植生が相互作用する中で、より環境に応じた植生が姿を現す。このように遷移とは一つのシステムから別のシステムへの推移を示している。

2.また、その推移も漸進的である。コケからいきなり陰樹性の高木が発生するわけではない。前段階と後段階には大きな断絶があるのだけレド、あたかも前段階の資産を継承するかのように、後段階が姿を現す。

3.遷移の後段階が前段階を必ずしも完全に駆逐するわけではないということ。草が生え、低木が優勢になったとしても、状況が揃えば苔が生きる余地はある。つまり、前段階と後段階は環境に応じて、共生が可能だということだ

・遷移の考え方を情報技術に適用すると、「腕木通信→電信→電話→無線→ラジオ→テレビ→コンピュータ→インターネット→(IoE/AI)」という流れ。

・電信は腕木通信の符号による通信を電気という媒体に応用、電気に関する技術向上で音を電気にのせる電話が登場、電磁波の発見はやがてラジオ放送やテレビ放送に結実する。さらに電気を使ったデジタル技術(ビットを扱う技術)の向上がコンピュータやインターネットを生み出した。

・「動物の進化とは動物の持つ可能性の展開ではなかったか。それは目的論的には説明はむつかしい。何らかの理由によって、可能性が確立された時、生命の新しい展開がはじまるのだ。同じように、文明の進歩とは何であったか。それは文明の中の可能性の展開ではなかったか」(梅棹貞夫/情報の文明学)

・テクノロジーは可能性の展開ではなかったか。一つのテクノロジーは多数の可能性を持つ・社会の導入されると、それぞれの可能性が生存競争を行い、有利な可能性と不利な可能性が峻別されていく。これが文明の持つ可能性の展開へとつながっていく。

・一方、テクノロジーの可能性には正と負の両面がある。こうして可能性の展開とその結果は、生合成があるものとは限らず、むしろ逆説や矛盾をはらみながら推移することになるのである。

 

■第1章:腕木通信ー近代的情報技術の幕開け

社会背景:

・産業革命以前の社会では、人々は驚くほどほど狭い範囲で生きていた。日々の生活が徒歩圏で営まれていれば情報の伝達は口頭で十分=情報技術が発達する余地なし

・当時、地域を結ぶ通信手段として長らく重宝されていたのはタクシス郵便(騎馬郵便)。

・産業革命により流通する情報量が増加し、情報に対するニーズが高まるに従い、タクシス郵便以上に効率的に扱う技術が必要に

・しかし、最初に近代的な情報技術が誕生したのはイギリスではなくフランス。フランス革命後の周辺諸国との緊張関係の中で、国境付近の状況を迅速に把握する情報ニーズが高まっていた。その中で、クロードシャップが人間の視覚に頼る新たな通信手法として完成させたのが腕木通信(1973)。腕木と呼ばれる数メートルの3本の棒を組み合わせた構造物をロープ操作で動かし、この腕木を別の基地局から望遠鏡を用いて確認することで情報を伝達。

特徴:

・数学者クロードシャノンの通信システムの基本モデル

・基本要素:情報源(伝えたいメッセージ)、送信機、通信路、雑音源、受信機、受信者

 

 

・これまでの通信手法の本質が「手に持てる媒体(ハンドヘルド・メディア)」に情報を記録して「輸送」。これに対し、腕木通信はメッセージを腕木の形状という信号に符号化し、メッセージの送信手段に「手に持てない媒体(ノン・ハンドヘルドメディア)」を使用した。

・それ以降の現代に至る情報通信の特徴は、符号化したメッセージの送信手段に手に持てない媒体を利用する点であり、その意味で、腕木通信は産業革命を経て初めて姿を現した近代的通信手段であった。

(電信=電気、電話=電流(音声を電流の波形に符号化)、ラジオやテレビ=電磁波(音声や映像を符号化)、インターネット=光(ビットに符号化))

・さらに腕木通信は、電気を全く使わない人力を基礎にした通信方法でありながら、離散的な信号を扱うデジタル方式。「テレグラフ=電信」の語源でもある。

・また、腕木通信には緊急度を示すコントロール信号やアルファベット信号など、メッセージ以外の情報を付加するヘッダやタグの概念が存在した。

腕木通信が広げた可能性:

・腕木通信は、手に持つことができない媒体によるメッセージでも意思を伝えられるという意識変化を生んだ

・フランスの腕木通信は国有であったが、大衆テレグラフ社(1833)など、民間開放=情報技術の大衆化の第一歩を進めた

・この「通信の大衆化」という可能性の展開は、以降の情報技術の連綿とつながる第一歩であった

もたらしたネガテイブな可能性:

・高額な維持管理コスト(これを乗り越える止揚から得られる合(ジュンテーゼ)として、シャップが提案した民間サービスへの開放や金融情報の配信、ニュースの配信という次の可能性は選択されなかった)

・時間差を利用した犯罪(現在でいうネットワーク犯罪)

~腕木通信にみる社会を変革するテクノロジーの誕生について~

社会を変革するテクノロジーの誕生=歴史的必然+技術的蓄積+選択的意思決定

・腕木通信の場合:

歴史的必然=産業革命+フランス革命後の周辺諸国との緊張関係による情報ニーズの高まり

技術的蓄積=望遠鏡、符号表、機械技術、鉄鋼技術。土木技術、測量技術など(電気に関する技術的蓄積は不十分であり失敗した)

選択的意思決定=シャップの自由な発想による選択(スウェーデンやイギリスではシャッター式通信が選択された)

※セリグマンの幸福の公式:幸福= 遺伝による規定値+生活環境+意思に基づく活動

※ケヴィンケリー のテクニウム=構造的必然性+歴史的偶然+意図的開放性

 

第二章:電気を使ったコミュニケーション

イノベーションとS時曲線:

・シュンペータの新結合。循環運動とは違い、新たな循環を実現する軌道の変更。

・異なるS時曲線が不連続ながら継続して現れることでテクノロジーは長期的に進展していくが、第三軸として「枠や慣行の軌道」のずれの大きさをとる

x:テクノロジーの性能

y:時間

z:枠組み/価値観

 

・郵便→腕木通信へのz軸の移行は、「手に持てる媒体」から「手に持てない媒体」による意思伝達という枠組みを大きく変更

・腕木→電信への移行は、「目に見える符号による通信」から「目に見えない電気を使った符号による通信」という近代的情報技術にとっての大事件

腕木から電信への遷移の過程:

・クックとホイートストンの電信機 1837、モールスの電信機 1838

・産業革命、鉄道での普及(衝突事故の対策に苦慮する鉄道会社にクックが売り込んだ)

・電信のS時曲線が始まった1830年代後半からの20年間は、フランスでの腕木通信から電信への移行期間。

・腕木通信を中心に成立していた装置群(人間が作り出した、人間を取り巻く有形無形の人工物)が、電信を中心とした新たな装置群に遷移していく過程。(情報化社会の過程では、こうした装置群の中で情報技術がひときわ重要な位置を占める)

・郵便馬車と腕木通信では、枠組みがあまりに違いすぎたので、それぞれの価値を認めるニーズ(大量文書は郵便の方が早かった)が存在し、新たな秩序で共生が実現したが、腕木から電信への移行では、旧い情報技術の破壊がとにかく徹底的に行われた。

社会・生活の変化:

・国を超えた電信の拡張規模=国をまたいだネットワークの誕生(日本は1871明治3年に世界の電信ネットワークに組み込まれる

・情報網・時間差による競争優位性の構築=インヴィジブルウェポン(政治や軍事にアドバンテージをもたらす)

・新たな職場の創造、産業の発展(電信士、通信社)

・天候や時間に対する関心を高めた(世界標準時)

・電文体や暗号化などの新たなコミュニケーション(ヘミングウェイは海外報道員!)

・暗号解説本のベストセラー

・著作権問題の浮上

 

第3章:電話ー音声がケーブルを伝わる

・1876 アメリカ グラハム・ベル(民営) 

・電話交換機によるネットワーク外部性の出現

・コミュニケーションに高度な技術を必要としない。また、メッセージが電信士を介さずに届くのでプライバシーも高い。そのため、電信で一歩踏み出した、通信の大衆化を電話が一気に推し進めた。

・電話の出現による全く予期せぬ可能性の現実化の一つがおしゃべり。場所を超えた「おしゃべり」というコミュニケーションを生む。予想外の利益。

・電話交換機、電話帳、電話番号、女性電話交換手などの誕生(電話という情報技術への反応)

・一方で電柱の森と呼ばれる都市環境問題を引き起こす

・ベル系と独立系の電話会社との間で互換性の問題が生じ、利用者は不便を被る(米国では1国1システムに)

~テクノロジーは人との相互作用の中で用途が決まる~

・全く予期されていなかった電話の出現によるおしゃべりの発見のように、テクノロジーは人との相互作用の中で用途が決まっていく

・テクノロジーの用途に対する独断を避けるには、それが持つ可能性をいくつも列挙する。エジソンは蓄音機の開発の際に10の可能性を列挙しており、音楽の再生は4番目の可能性にすぎなかった。

~パーソナルな情報とパブリックな情報~

・初期の電話は現在の用途とは別に劇場中継システムとして、言い換えると1対nの同時一斉配信である放送に近いシステムとしても運用されていた。この可能性がさらに追求されて、現在の放送に近い、電話を用いた仕組みが登場する(テレフォンヒルモンド。日本の有線放送電話とも近い)

・公共的活動は当時から一定のニーズがあったが、電話という技術とはうまくマッチせず、電話は1対1というコミュニケーションの道を歩んだ。

・「技術的蓄積」の中から「選択的意思決定」された結果。ただし、そのニーズの解消は「歴史的必然」であり、その環境の中で誕生するのがラジオ放送

 

第4章:無線通信・ラジオ放送ー電波に声をのせる

・無線通信:1986 イギリス マルコーニ、1906 レジナルドフェッセンデン

・海上での通信という課題。タイタニック号遭難が無線の力を世に知らしめた。

・無線通信の明らかな欠点は通話の秘密を守れないこと。が、これほどまでリアルタイムかつ広範囲にメッセージを伝えられるコミュニケーション手段はかつて存在しなかった。

・有線と無線の決定的な違いは、無線がリアルタイムで1対nのコミュニケーションを実現できる情報技術。電話や電信とは全く異なることを可能性を切り開く。

・また、通信網を用意する必要がないため、巨大資本がなくても参入できる。

・無線通信の受信>送信の技術的な難易度の非対称性を背景に、人々は、ブロードキャスト=広範囲に投げかける放送という新しいコミュニケーション様式を獲得。

・こうして無線通信はラジオ放送へと姿を変えることで、アマチュア無線通信時代以上に、情報技術の大衆化に成功した。

・ラジオ:1920 アメリカ デービッド・サーノフ

・大量生産した商品を広く告知し大量に売りさばくための装置として、ラジオ放送は巨大産業にのし上がっていく。まさに梅棹がいった情報産業の誕生

・ラジオという新しい情報技術が持つ可能性が実現すると新たな可能性が姿を表す。ラジオ広告やラジオ受信機もその一例。

・予期せぬ問題:ラジオ放送局の乱立による混信、ラジオ放送によって生じた著作権問題。

・ラジオ放送は1対nの情報技術として大衆に情報を送り込むマスコミュニケーションの登場であった。

 

第5章:テレビ放送時代の到来

・日本では、アメリカから4年遅れて、1925(大正3)日本放送協会(NHK)による日本初ラジオ放送。

・民間主導で始まったアメリカの放送に対し、日本では国主導。

・ラジオの持つ広告放送の最大の可能性はラジオ受信機の数(吉田秀雄)

・テレビの普及は、放送の受信装置がラジオからテレビに置き換わり、ビジネスモデル時代はラジオ放送自体のものを踏襲。ラジオ放送の在り方やビジネスモデルを借用してテレビ放送は成立。

・テレビという情報技術にはテレビ電話という可能性もあったが、ラジオ放送の在り方に決定づけられたとも言える

・東京オリンピックが火付け役になり、20世紀後半の大衆に最もみじかな情報技術の東の横綱はカラーテレビ。

・西の横綱は電話。

・1985年の電気通信事業法が施行され、電電公社が民営化されNTT誕生、電話機と回線利用制度の自由化が実施。

・従来、過程や事務所に設置する電話機は電電公社の電話機をレンタルすr必要があったが、これが自由化されだれでも好みの電話を自由に使えるようになった。町の電気屋が多様な電話を販売するのはこれ以降のことになる。

・携帯電話は、最初自動車電話(1979)として生まれ、屋外でも利用できるショルダーフォン(1985)、小型化した携帯電話(1987)、2001年には携帯電話の契約回線数が固定電話の契約回線数を上回る

~20世紀の情報技術とは~

・電話とテレビが20世紀を代表する「情報技術」だとすると、いずれも意外に古い技術が同じ軌道の上を連続的に発展してきた

・電話は1876年以降にベルが電話の特許を取得して以来、呼び出し式ーダイヤル式、プッシュホン、壁掛け式ー卓上式ーハンディホンー携帯電話、人力交換ー機械式自動交換ー電子式ーデジタル式へ。こうした技術の変化は新しい制度を必要とし、人他人の生活スタイルを変えた。

・この発展の軌道は、電話という枠組みでは19世紀のテクノロジーを源に連続的院発展してきたもので、新しい軌道への移行は起こらなかった

・テレビ放送というテクノロジーはラジオ放送の延長であり、放送という枠組みでは同じ軌道の上を連続していた

・20世紀はアナログ情報技術の時代とも言える。電話もテレビも。

・19世紀に一斉を風靡した腕木通信や電信がデジタル情報技術の一つだったが、20世紀に入ってアナログへと推移した。(陰陽)

・1980年台半ばにアナログ情報技術がピークを迎えた時には日本の電機メーカーが世界のトップをいく勢いがあった(ジャパンアズナンバーワン)

・一方、その裏ではデジタル情報技術という新たな芽ばえ。その象徴が、ISDN(統合サービスデジタル網)であり、NTTのINSネットサービスの提供開始(1988)。さらに、90年代ではテレビのMUSE方式にとってかわるデジタルハイビジョン。

~情報技術の歴史の大きな3つの波~

19C:デジタル情報技術による第一の波(腕木通信・電信)

20C:アナログ情報技術による第二の波(ラジオ・テレビ・電話)

21C:デジタル情報技術(ビット情報技術)による第三の波

 

第6章・第7章:コンピュータ・インターネット 地球を覆う神経網

・ヴァネヴァー・ブッシュのメメックス(1945年の論文ですでにハイパーテキストの概念を考案)

・インターネットの構想は電信のネットワークへの回帰(ポール・バラン)

・ARPAネットの目的は全米の研究所コンピュータを相互に接続し、科学者たちが資源を共有できるようにするコミュニケーション技術(軍事目的は後から)

・21世紀の情報技術の3要素:ハードウェア、ソフトウェア、ネットワーク(3W)

・情報技術の水準向上は、3Wのボトルネックの発展に依存する

・個人が1対nの情報を発信する可能性は無線技術によって現実となったが、ラジオ放送が普及する過程で、多くの人は送信者すなわちブロードキャスターになることを放棄し、受信者になることを選んだ。(双方向のコミュニケーションは一部のアマチュア無線家のみ)

・初期のウェブに起きたことも相似形だったが、無線とは異なる現象が、一般大衆でも容易に1対nの情報発信ができる手段であったブログやSNS、ラインなどの参加型コンテンツサービス

・21世紀のデジタル情報技術は大衆をプロシューマー(生産消費者)へ変えた。また、メディアの垣根をなくした

 

第8章:IoE、ビックデータ、AI

・18世紀末~現代までの歴史は、情報技術の大衆化の歴史。つまり、情報技術およびその情報技術によってもたらされる情報を大衆が活用できるようになるプロセス。

・今後の情報技術の向かう先として、未だ受信されも解読されることもない情報を大衆が使用できる形式、意味のある表現に転換し、人々の暮らしをより便利で快適にすることを目指す

・IoE:人間内部の未使用情報(生体情報)と人間外部の未使用情報

・使用情報が増加するということは選択の可能性が増えること。そして、人々の選択限界を超えると何も選択しないという選択が現れる。

・AIの使用価値は高いが、AIに選択を委ねることは人間本来の自由意志の喪失という側面があることも否めない。いかに相克を乗り越えるか。

〜超相克の時代へ〜

・寡占と共有の相克:シナジーのもう一つの定義「個人や組織の利己主義が他人や社会を助けることにつながり、また他人を助けようとする利他主義が個人や組織に利益をもたらす状況=利己主義と利他主義の二分法の超越」(文化人類学者ルース・ベネディクト)。家族、地域、国家、地球、宇宙というスケールにおけるハイシナジーの可否を基準とした活動、ハイシナジーを問う態度。★

・ビックデータ社会の利便性とプライバシーの相克:18Cの功利主義哲学者ジェレミー・ベンサムのパプティコン(一望監視施設)と、それを現在社会に適用したフーコーの監視社会。

・世界と地域の相克:グローバリズムと国家主義・民族主義


(メモおわり)

 IT全史 情報技術の250年を読む