植物は生長に必要な物資を自ら調達する~横に伸びるトマトと協生農法実践マニュアル~[協生農法実験記録②]
自宅前の耕作放棄地でスタートした協生農法。
オープンソースで公開されている「協生農法実践マニュアル」がとても面白く大変勉強になったので、いくつかメモしておきたいと思います。
協生農法(およびシネコカルチャー)について
「協生農法(シネコカルチャー)」は、食糧生産と環境破壊のトレードオフや、人か自然かの二元論を乗り越えて、生態系が本来持つ力を多面的・総合的に活用する生態系構築技術(詳細はSony CSLのHP )。学術的には、人の営みが生態系構築および生物多様性の回復に貢献していく「拡張生態系」という考え方に根ざしています。(株)桜自然塾の大塚隆氏によって原型が創られ、Sony CSLの舩橋真俊氏によって学術的定式化がなされています。
ご興味ある方はEcological Memesで開催しているセッションの様子や記事もご覧ください。
・生態系の“あいだ”を回復・構築する「協生農法」とは?
・地球の生態系に包摂された生命として人はどう生きるのか 〜自然と人の“あいだ”を取り戻す協生農法〜
・EMF21レポート② シネコカルチャー(協生農法)とは何か【前編】
・人間と自然の共繁栄のかたち。生態系を拡張させる「協生農法」の実践
・拡張生態系のパラダイム – シネコカルチャーの社会実装の契機をさぐる-(舩橋真俊氏)
【シネコカルチャー実験記録の記事一覧】
・耕作放棄地で協生農法をはじめました[シネコカルチャー実験記録①]
・植物は生長に必要な物資を自ら調達する~横に伸びるトマトと協生農法実践マニュアル~[シネコカルチャー実験記録②]
・遠野で協生農園を訪問。美しき緑の焚き火。[シネコカルチャー実験記録③]
・畝をつくらない区画をつくってみた。[シネコカルチャー実験記録④]
・結実過程のドラマ。オクラ、ピーマン、トマト、ジャガイモほか。[シネコカルチャー実験記録④]
・全36科87種。Scrapboxで協生菜園の植生リストをつくってみました。[シネコカルチャー実験記録⑤]
・二子玉川のコミュニティ畑プロジェクト「タマリバタケ」で協生農法はじまります [シネコカルチャー実験記録⑥]
・ベランダでもできる小さな生態系観察。協生プランターのすすめ [シネコカルチャー実験記録⑦]
・種から種へ。自家採種を通じてみえてくる植物の姿と枯れの凄み。[シネコカルチャー実験記録⑧]
・タマリバタケの協生菜園のその後<秋分〜冬至>[シネコカルチャー実験記録⑨]
・協生菜園で育てた蓼藍で生葉染め、そして種取り。植物の生命力を身にまとう。[シネコカルチャー実験記録10]
・協生菜園に春がきた<タマリバタケの冬至〜春分>[シネコカルチャー実験記録11]
・協生農法の生みの親・野人ムーさんのところに行ってきました[シネコカルチャー実験記録12]
・無肥料・無農薬でも虫に食われないのはなぜか。混生密生の多様性がもたらす縁起と恵みの実感。[シネコカルチャー実験記録13]
・埼玉・春日部の農園で協生農法をご一緒にやりたい方を募集しています。[シネコカルチャー実験記録14]
・春日部にて協生圃場プロジェクトがスタート。秋分の集いにて[シネコカルチャー実験記録15]
・不耕起栽培、ゲイブ・ブラウンの土を育てる、拡張生態系における人の役割と希望。
・混生密生の世界と収穫による生態系への介入[協生農法実験記録17]
・かすかべ協生農園のお野菜詰め合わせセット販売
※このブログは、個人の実験的な観察・実践記録であり、公式なやり方や内容を記載しているものではありません。
植物は生長に必要な物資を自ら調達する。環境適応と生態学的ニッチ。
細かい記述にはっとさせられます。
例えば、このあたり。
・全ての植物は、その生長に必要な物資を植物自身の光合成による直接的相互作用、動物叢を解した間接的相互作用を通じて自分自身で調達する
・自然状態の植物は、その生長に必要な物資の調達は植物自身が行う。その結果として出現する植物と環境条件の地理的分布は生態学的ニッチと呼ばれる
・灌水しなくても、種は自ら環境をセンシングし、発芽に適した時期を判断して発芽する…長い進化の歴史の中で幾度の気候変動を乗り越えてきた植物の自発的な判断と成長に任せることで、環境適応力をあげることが重要である
あとは、土壌構造への関わり方。
・植性の競争混成状態(生態学的最適化状態)で実現される土壌構造:
→耕さなくても、草を全て抜いて表土を露出させた場合は土壌構造を形成する根系が失われるため、全除草も構造への介入になる
協生農法には、自然循環が成立する上で介入すべきでない「構造」と、介入可能な「揺らぎ」という考え方があるそうで、土壌は介入すべきではない領域にあたるとのこと。
なので、土を耕したり根をどんどん抜いてしまうことは、土壌構造への介入になるため推奨されないということです。実践マニュアルには、一年草は冬に枯れることで土壌の練炭構造を形成してくれるといったことも書かれています(うちではいわゆる雑草と呼ばれる草は野菜丈で刈り取り、できるだけ根をぬかないようにしています)
このほかにも、
・協生農法の実践過程で単一昆虫種が大量発生した場合、土壌が浄化を必要としている段階である可能性があり、駆除はせず余剰物が排出されるのを促進する
・微生物資材と外部からの有機物を継続的・定期的に投入し続けながらの栽培は協生農法に反する
→当初はうちでやっているコンポストを投入しようかと思っていた…
・自然環境の揺らぎによって作物には出来不出来が生じるが、その揺らぎを吸収できるような苗の供給体制を整えることで生産の安定化と効率化を図ることができる
・植物一つ一つを不自然に肥大化させ、自然状態の植物の本質からは程遠い「養殖野菜」を作ることに腐心して科学技術を用いてきたように思います…(中略)…これまでの農業や肥料の開発に注がれてきた努力を、自然状態での動植物の関係性の活用という方面に少しでも注力することができるなら、その目標を大きく前進させることができるでしょう(あとがきより)
という具合で、協生農法の実践のヒントがたくさん書かれています。
現代社会に刷り込まれた「こうすれば植物は上手く育つ」という無意識の前提
この実践マニュアルを読んでいると、根底に流れている植物や生態系が本来持つ力、生命の営みそのものへのまなざしにはっとさせられます。それは、裏を返せば、どれだけ自分が植物の生長をコントロールする(できるつもりになっている)無意識の前提を持っていたかということでもあります。
前回も少し書きましたが、無耕作、無施肥、無農薬だけでなく、協生農法には「人間が持ち込むことができるのは苗と種のみである」という原則(灌水も原則しない)があります。
でも、頭ではわかったつもりになっていても、実際にやっていると、そうした原則とは裏腹に、自分の中に、上手く大きく育てたいという気持ちからくるたくさんの介入欲求や思い込み、エゴの存在に気がつきます。
他の草がはえているとなんとなく栄養が持っていかれそうな感じがするから抜きたくなる(対象作物を大きく育てたい)、とか、倒れて折れてしまいそうだから支柱をたてて支えてあげないと、とか、水を毎日あげたほうが元気に育つのではないか、とか。あげればきりがないですが、ひとつひとつの可否はおいておいて、自分の中に「こうすれば上手く育つだろう」という無意識の前提がたくさん潜んでいることに気がつきます。
それがどこからくるのだろう、と考えた時に、まず思いつくのは小学校で習うミニトマト栽培です。プランターに水をやり、肥料をあげ、支柱をたて、収穫のみを目的とし、肥大化を促す。そして、どのトマトも同じように大きく真っ直ぐ育つことが良しとされ褒められる対象となるような育て方を習います。
でも、実際に協生農法での混生密生をやりはじめて、そこには全く異なる風景が広がっていました。
縦にのびるトマトと横にのびるトマト
例えば、トマトって、ひとつひとつ生長の仕方が全く違う。
茎を太くし、我先に太陽を浴びんとばかりに垂直方向に伸びていくマッチョなトマトもいれば、多方向にぐわんぐわんと茎を広げ他の植物たちにもたれかかりながら育っていく暴れん坊将軍みたいなトマトもいるし、密集はいやだよ〜と細い茎を地を這うようにスーっと伸ばしてひらけた空間をみつけると、そこでぐぐぐっと垂直に茎を伸ばして一人太陽の光をたっぷりあびて花を咲かせているトマトもいる。
そんな様子を日々観察していると、トマトってこんなにもひとつひとつ違うのか!こんなにも生長環境を自ら選択していくのか!とそれぞれの個性的な姿にいちいち感動するわけです。
生命の営みを考えれば当たり前のことですし小学生みたいな感想なんですが、でも、少なくとも僕は小学生の時にはその当たり前に触れることはできなかったように思うし、なんなら真逆の方向で「植物をうまく育てること」を教えられていたような気がします。
もちろん茎を支えなければ折れてしまうような時もありますし、支柱をたてていけないことは全くないと思いますが、そういうものだよねと支柱を立てようとしてしまうその時に、そのトマトがその生態系の中で自らの最適なかたちで生長し、必要な物資を自ら調達する機会を奪ってしまっていたり、あるいは、「みんな同じように真っ直ぐ育つことがいいことだ」という無意識の前提が自分の中に潜んでいやしないだろうか、ということに自覚的になれるか、というのはとても大切なことのような気がしています。
植物や生態系が本来持つ力、生命の営みそのものへのまなざし
現代社会では、人が植物をコントロールし少し不自然なほどに肥大化させて育てるという関わり方があまりに刷り込まれてしまっていて、植物一つ一つのいのちとして向き合う機会が失われてしまいやすいのかもしれません。そして、僕自身が協生農法実践マニュアルを読んで目から鱗が落ちたように、そもそもそれ以外の関わり方があっていいいうことに盲目的になってしまいやすい。
植物を育てていれば、もちろん種は自ら発芽し、植物は自ら生長するので、それは人のコントロールできない、生命力溢れた営みに思えます。
だけれども、単一栽培のプランターに水をやり、肥料をあげ、支柱をたて、収穫のみを目的とし、肥大化を促すという一連の「上手く育てる方法」は、もしかするととても限定的な関わり方で、植物が本来持つ生長の力や生態系における様々な動植物の連環や関係性を活かしていくような関わり方から僕らを遠ざけてしまう可能性すらあるのかもしれません。それは、教育や子どもたちとの向き合い方についても全く同じことがいえるような気がします。「良い子」「真っ直ぐに育つ」なんていう言葉の裏に無意識に大人都合の息苦しい規格が潜んでいないかと常に問いかけていたいなと思います。
なお、誤解のないよう書いておくと、生業として収穫量を担保してなければならない立場にないのでこんなことが書けています。たまに農業やっているの?なんて言われることがあるのですが、こんな素人がちょっとかじったぐらいで農だなんてとんでもなくて。野菜作りはやればやるほど日々発見の連続で自分が植物や土壌や生命の営みにいかに無知かを痛感します。同時に、自分でやってみるからこそ、八百屋さんに並ぶ野菜や食べ物への見方が変化して、農家さんや食生産・流通を支えている方々への感謝と敬意をますます感じる日々です。
(協生農法実践マニュアルには、農家さんが収穫量を担保しながら実践するための戦略や計画づくりについてきちんと書かれています)
協生農法がひらく植物や生態系との新たな関わり方
そういえば、Ecological Memes Forum 2021のセッションで船橋さんが、拡張生態系は既存の価値観を相対化するための極の理論だということをおっしゃっていましたが、その意味がやってみてようやく少しづつ体感されてきました。それは、従来の画一的な農法に対して生物多様性を高めていく生態系構築の理論というのみならず、私たち現代社会を生きる多くの人の植物や自然生態系との向き合う抜本的な態度そのものを問いかけてくれているのかもしれません。
「全ての植物は、その生長に必要な物資を植物自身の光合成による直接的相互作用、動物叢を解した間接的相互作用を通じて自分自身で調達する」
「灌水しなくても、種は自ら環境をセンシングし、発芽に適した時期を判断して発芽する…長い進化の歴史の中で幾度の気候変動を乗り越えてきた植物の自発的な判断と成長に任せることで、環境適応力をあげることが重要である」
(共生農法実践マニュアルより)
こんな風に、植物や生命本来の持つ力を信じて、人が生態系構築に関わり、多様性を回復しながら有用価値を享受していくことができたなら。
自然の叡智に対して敬意と謙虚さを持ちながら、同時に、メタ的な情報技術を含めた(船橋さんの言葉を借りれば)精神資産を最大限高めていくことで、人が生物多様性に積極的に貢献していく拡張生態系。
協生農法をやってみると、植物たちの声に耳を澄ましていくことで、人は植物ともっとお互いにより良い関わり方ができるのかもしれない、生命のリズムを共鳴させながらダンスすることができるのかもしれない。そんな可能性にワクワクします。
もちろん実装・実践のためには超複雑系を扱う情報技術の活用が鍵になるとは思いますが、食糧生産や経済危機、数々の社会問題の交差点として地球生態系の全球崩壊を防がんとするこの壮大な営みは、一人一人のそんな生命の実感からもはじまっていくのかもしれませんし、日々台所や食卓で向き合う野菜たちが生命であるという尊さに気づき直すことからはじまるのかもしれません。
協生農法実践マニュアルはオープンソースとして下記に公開されています。ご興味ある方はぜひ。
・実践マニュアル
https://synecoculture.sonycsl.co.jp/public/2016年度版%20協生農法実践マニュアル_compressed.pdf
・協生理論学習キット
https://www.sonycsl.co.jp/…/synecokit_ver033j20201018.pdf
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