サッカーとコロナと身体感覚(「これからの社会におけるサッカー」寄稿文)

人の少ない朝や夕方に娘と近くの公園にお散歩に行く。
保育園が休園になってからの日課だ。

思いっきり身体を動かし、太陽の光を浴びて、
雨上がりの土をいじり、草木とお話をする。

日々の暮らしや家族との大切な時間への感謝と共に、未来を担う子どもたちからこの風景を失いたくない。そう願っている自分がいる。

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スポーツをやっている人にとって、自分の身体のコンディションを観察し、整えることは生活の一部だ。

僕は怪我が多かったこともあり、お風呂上がりにはセリアAのベストゴール集をみながら入念にストレッチをするのが小学生の頃から習慣だったし、身体的な違和感や緊張を常に気にかけ観察していた。具合が悪いところをカバーして全体のバランスをとろうとしている自分の身体を感じることもあった。

そして、そうした身体感覚は、自分に閉じていなかった。
長年練習や生活の場を共にしていると、相棒が出すパスの道筋や背後から仲間がスペースに走り出しているのが鮮明に感じられる瞬間 − あたかも一つの生命体として一緒に動いているかのような瞬間 − がある。合氣道など武道のように、相手と身体的に同期していく感覚は、おそらく多くの人がサッカー人生の中で味わったことがあるのではないかと思う。

自分ならざるものを感じ取り、他者とつながっていく感覚。
「ソーシャルディスタンス(社会的距離)」という言葉もすっかり流行語となった今、この身体感覚が今ほど大切なタイミングはないかもしれない。

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「古事記」の中に「心は腹の中の内臓にある」という仁徳天皇の歌があるそうだ。能楽師の安田登さんは、現代社会で起こっている様々な課題が、「腹におさめ」ていた感情がいつの間にか「頭にくる」ようになったことと関係しているのではないと書かれている。

その在り処はさておき、身体と心はつながっている。
他者との身体的なつながりは、他の人の気持ちに寄り添ったり、傷みを感じたり、思いやることと無縁ではないだろう。となると、他者との身体接触を一時的に切り離してしまう現在の行動規制が、疫学的な正しさの裏で気付かないうちに社会倫理となっていくリスクに目を向ける必要がある。

象徴的なのが咳をする人を周囲の白い目線が襲い、感染者を非難するような差別的な風潮だ。特に多感な時期に今回のような出来事を体験している若者や子どもたちへの影響を危惧せざるを得ない。

自分や周囲の大切な人を感染から守りたいと思うのは自然な気持ちだが、その矛先が他者の非難へと向かっていくのは別のことだ。

恐怖や不安が社会に蔓延した時に、差別や不条理な非難が横行する歴史をこれ以上繰り返してはならないし、現在の一時的な身体的分断を精神的な痕跡として未来社会に残すべきではない。

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僕が「サッカーに育ててもらった」のは、技術的なことだけではない。

心身のコンディショニング、自分とは違う意見や特徴を持つ他者との協働や思いやり、そして身体的なつながり。子どもの時は考えもしなかったが、大人になってそれがどれだけ自分の人生を豊かにしてきてくれたのかに気が付いた。

今はステイホームで耐える時だ。
この先、疫学的な行動制限が解除された際には、サッカーやスポーツ、あるいは自然と触れ合う活動が他者を感じ取る身体感覚・感受性を回復させ、社会のつながりを取り戻すきっかけになっていくことを願っている。

小林泰紘(株式会社BIOTOPE / Ecological Memes発起人)


コミュニティ型のサッカー・スポーツグラウンドづくりを通じて、世界中で子どもたちのエンパワーメントを行うlove.fútbolのRyoya Kato さんが仕掛ける『これからの社会におけるサッカー』 にて寄稿させていただきました。

竹中玲央奈さんやカレンロバートさん、HITOTOWAのMasafumi Ara さんん、写真家の嶌村 吉祥丸さんなど、大人から子どもまで様々な立場からサッカーに関わる15名の方々の想いが綴られています。

こんな方々と共に僕の名前が並ぶのはきわめて謎な感じなのですが笑、お声がけいただいたのでサッカー好きの端くれ(生態系の専門家は過分です…)ということで、アフターコロナにおけるスポーツや身体性、他者とのつながりについて書かせていただきました。

他の方々の文章もとても素敵なので(特に子どもたちの言葉は心打たれます)、こちらからぜひよんでみてください。
https://note.com/lovefutbol_japan/n/n1956f6fe4b21