森のバロック①:南方マンダラの世界をのぞいてみる-無意識の集団記憶や共同幻想が生まれるメカニズム-

「わたしはこの本で、南方熊楠の生涯のうちで「最も深く体験されたもの」、それだけを注意深く取り出そうとした」

南方熊楠の偉人・奇人的人物像や客観的な経歴に関わる文献は多くあるが、論文や書簡に記載された言葉だけでなく、その内部や奥底で熊楠が切り拓こうとしていた世界や奏でられている調べに迫るものは多くない。

そんな中、人類学者・中沢新一さんの「森のバロック」はお気に入りの一冊(ほかにも「南方熊楠と神社合祀, 芳賀直哉」「南方熊楠・萃点の思想, 鶴見和子」などもおすすめ)。

森のバロックは、「南方マンダラ」「燕石考」「粘菌とオートポイエーシス」「森のバロック」など7章にわたって紐解いている本なのだが、今回はまずは「南方マンダラ」について。

南方熊楠やエコロジカルな思想、あいだの哲学を深める上で読んでおきたい先人たちの叡智。

自然科学と仏教哲学の融合によって切り拓かれる新たな学問

少しだけ背景を整理すると、「南方マンダラ」の思想は、明治36年から翌年にかけて緑濃い那智の森の山中で生まれます。熊楠はそのとき37歳。

当時「南方マンダラ」の誕生を見届けていた唯一の存在が真言僧・土宜法竜であり、熊楠は土宜法竜との出会いと往復書簡の中で10年ほどの月日を経て「南方マンダラ」の思想へと至っていくことになります。

熊楠が留学をしていた19世紀末の英国(なお、土宜法竜はパリ)は、ちょうど人類学が新たな学問として立ち上がりはじめていた頃。

大英博物館を中心に、専門の植物学から人類学、宗教学、社会学など、当時目覚ましい発展を遂げようとしていた新しい西欧の学問を夢中に学ぶと同時に、当時の科学の支配的なパラダイムとなっていたダーウィンの進化論やニュートン力学、スペンサーの社会進化論などの土台の上にそれらが築かれていることに次第に強烈な違和感を感じていきます。

当時の西洋自然科学の素晴らしさと同時に、その方法が世界の実相をとらえるためにいくつかの重要な欠陥を持っていることにも気がついていた。だからこそ、科学は仏教哲学、特に華厳経や真言密教のマンダラの内包する思想と融合することによって、現代学問の限界を乗り越えていけると考えていた。というのが、南方マンダラ誕生の裏にある大きな背景。

那智ではないですが、熊野の森で数年前に出会ってしまったただならぬ巨木

「事」学の事始め – この世界はあらゆるものが「事」として現象している –

では、その新たな学問を切り拓くため熊楠がたどりついた「南方マンダラ」とは一体何なのか。

そこに迫るためには、まず「事」という概念をめぐる熊楠の思想を理解する必要があります。

第二章:南方マンダラの来歴:
・「事」は「心」と「物」がまじわるところに生まれる。

・例えば建築なども「事」であり、自分の頭の中に生まれた非物質的なプランを、土や木やセメントなどを使って現実化する。建築物そのものは「物」だけれども、それは「心界」でおこる想像や夢のような出来事を実現すべくつくりだされたひとつの「事」として、あるいはいく中にも重ね合わされた「事」の連鎖として、「心」と「物」があいまじわる境界面のようなところにあらわれてくる現象にほかならない

・今の学者、ただ箇々のこの心この物について論究するばかりなり。小生は何卒心とものとがまじわりて生ずる事(人界の現象とみて可なり)によりて究め、心界と物界とはいかにして相違に、いかにして相同じき所にあるかを知りたきなり。
(明治26年12月21日-24日「往復書簡」)

「この世界はあらゆるものが「心」と「物」のまじわりあうところに生まれる「事」として現象している」という考え方で、熊楠は当時の学問に一番欠けているものは、この「事」の本質についての洞察だと考えます。

重要なポイントが2つあって、1つ目は「心界と物界は根底を流れる原理が異なる」ということ。

・熊楠の考えでは、純粋なただ「心」だけとか「物」だけというのは、人間の世界にとっては意味を持たず、あらゆるものが「心」と「物」のまじわりあうところに生まれる「事」として、現象している。

・しかも「心界」における運動は「物界」の運動をつかさどっているものとは、違う流れと原理にしたがっている。このために、「物界」では、因果応報ということが確実におこるのに、純粋な「心界」でも因果応報がおこるとは限らない。

・たとえ、その人の心に悪い考えがおこったとしても、それの考えが「物界」と出会って、そこに確かな「事」の痕跡をつくりだし、「物界」の流れの中に巻き込まれてしまうことがなかったとしたら、決して将来に報いを作り出すとは限らない。

・「事」は異質なものの出会いのうちに、生成される。そしてその「事」が、ふたたび「心」や「物」にフィードバックして働きかける過程の積み重ねとして、人間にとっての意味ある世界は作り出されてくる

・熊楠はこの「事」の連鎖の中から、ひとつの原則が見出せるはずだと考えた。そして、そのヒントは、どうやら仏教の説く哲理の中に潜んでいそうだ、と直観したのである。

「物界」では因果応報ということが確実におこるが、「心界」では因果応報がおこるとは限らない。例えば心に邪(よこしま)なことが起こったとしてもそれがたまたま物界と出会わずに「事」としての痕跡を残さなければ、将来の報いとはつながらないわけだ。ここに因果関係の追求のみを目標とする多くの西欧学問の一つの限界をみていたということになる。

「事」は対象として分離することができない

2つ目のポイントは「「事」は対象として分離することができない」ということ。

・熊楠の考えは現代的な意味を持っている。まず彼は、「事」は対象として分離することができない構造を持っていると言っている。 「心界」におこる動きが、それとは異質な「物界」に出会った時、そこに「事」の痕跡がつくりだされる。しかし、その「事」はもともと「心界」の動きにつながっているものだから、「心界」の働きである知性には、「事」を「物」のように対象化して扱うことはできないのだ。★★★

・しかし、その分離不可能、対象化不可能なダイナミック運動である「事」を扱うことができなければ、どんな学問でも、自分は世界を扱っていると言えなくなってしまう。

・ここには20世紀の自然科学が量子論の誕生をまって、はじめて直面することになった「観測問題」の要点がはっきりと先取りされている

「心界」から独立した純粋な「物界」というものは存在できない。観測が行われる時には必ず人の意識の働きが関与している。つまり、どんな物質現象でもそれが人間にとって意味を持つ時にはすでに「物」ではなく「心界」と「物界」の境界面に起こる「事」として現象しているために、決定不能の事態に陥ってしまうのだ。

・量子論が生まれる30年も前にそれを捉えていた熊楠は、その後「南方曼荼羅」の思想に結晶する。熊楠は「事」として生まれる世界の本質をとらえる方法が、真言密教の曼荼羅の思想の中に潜んでいることを直観的に理解していた。

これはとても重要な指摘。

私たちは普段、自然環境含めてすでに対象としての世界がそこにあり、それを人が知覚しているように考える考え方に浸っている。しかし熊楠は、知覚している時点では、すでに心が物的世界と出会って「事」として現象していると考えた。つまり、すでに人の心が入り込んでしまっているために「事」だけを対象化して切り離すことはできないという。まさに量子論における観測者問題を30年先駆けて捉えている。

すべての生物にとって世界は客観的な環境ではなく、各々が主体的に構築する独自の世界であるとする「生物学者・ユスクキュルの環世界」や、対象としての自然と観察者としての人間を切り分けずに人と自然環境(気候風土)とを相即不離の溶け合ったものとしてみる「和辻の風土論」などとも通ずるところがあるが、そもそも私たちが世界と呼んだり知覚していると思っているものは各々の心がすでに出会い入り込み現象しているものであるという点で、熊楠のそれはもう一段深い。
※あいだの哲学やレンマ学についてはこちらも

「自然の中に心があるのではなく、心の中に自然がある」「人本来の生き方において、自分というのは、現在心の集中しているその場所なのだ」といったことを著している数学者・岡潔が「情緒」という言葉で表現しようとしたビジョンとも重なる気がしている。

諸不思議の織りなす体系

こうした「事」として現象し続ける世界の本質を捉えようとした南方は、そのヒントが真言密教の曼荼羅の思想の中に潜んでいることを直感していた。そして、それは時を経て「南方マンダラ」の思想に結晶する。

「南方マンダラ」はおそろしく複雑な構造をしているが、土宜法竜宛書簡の中で「不思議の体系」「マンダラの構造」「縁の論理」の3つの側面から説明しようと試みられている。

まず「不思議の体系」についてだが、熊楠は森羅万象の現象を「不思議」と呼び、先ほどの「心」「物」「事」に、「理」と「大日如来」が加えられることによって、世界は諸不思議の織りなす重層的な全体構造を持つ運動体として、理解し直されている。

下記は有名な一説だ。

「ここに一言す。不思議ということあり。事不思議あり。物不思議あり。心不思議あり。理不思議あり。大日如来の大不思議あり…今日の科学は、物不思議をばあらかた片付け、その順序だけをざっと立てならべ得たることと思う。心理学といえども、物不思議を離れず
(明治36年7月18日「往復書簡」)

なぜわざわざ「不思議」という言葉を使ったのか。著者の解釈を引用しておきたい。

・それまで世界とか現象とか読んでいたものを「不思議」という言葉を使うことで、存在世界にはそこがないという彼の直観を強調しようとした

・知性は森羅万象の中に秩序を探し求めようとするが、ところが森羅万象は底無しの玉ねぎ状の重層性を備えている。そこで知性が「物」や「心」や「事」のしめす、現象のあるレベルに何らかの秩序を見出したとしても、その途端に知性はその秩序の底にさらに深いレベルの実在が動いていることを発見してしまう。

ものごとの理解が深まれば深まるほどに、人間の知性の前にはつぎつぎと未知の実在があらわれてくる。存在の世界には底がないのだ。那智の森で南方が実感しつつあった、その世界の成り立ちを「不思議」と呼んだのである。

底のない森羅万象の世界を前に、人の知性はこの世界の全てを理解し切ることなど到底できない。けれども人の知性は自分の不完全さを知りながら、この不思議にたちむかうしかない。

そうした世界に驚き続ける好奇心をレイチェルカーソンはセンスオブワンダーと表現したし、自然の中に身を委ねているとヒューマンスケールを超えた存在への圧倒的な敬意や畏怖を感じざるにはいられないわけだが、つまり、不思議とは人間の謙虚さの表現でもあるというわけである。

また、諸不思議が表す複雑な運動体には、どんなに微小な部分であっても、全体とのつながり合いを失わず独立させることができない性質があるという。

もう一つの理由は、この「不思議」という言葉で世界は全体運動を行なっているということを表現しようとしているのだ。その全体構造は大日如来の大不思議からはじまって、現象をつくりなす「諸不思議」にいたるまでを包摂する。複雑で大きな運動体である。そこでは、実在のどんなに小さい部分でも、常に運動し変化する全体とのつながりを失っていない。そのため、どんな微小部分であってもそれだけを独立させて理解することはできない。★★

このあたりはEcological Memesでも扱っている複雑系科学の視点や「直感による全体性の把握」というテーマとも重なっている。

現代の気候変動にしても環境問題にしても、脱人間中心といいながらあたかも全てを人間が解決できるかのような態度は同じことの繰り返ししか生まないだろう。理研の桜田さんが「亜種の起源」にて即興演奏と書いているように、地球という生きたシステムや人ならざるものと即興的なダンスを楽しめる一人ひとりの振る舞いや喜びを取り戻していく仕組みを作ることの方が謙虚で現実的な方向性だと思う。

諸不思議のつながりと萃点の思想

南方マンダラに話を戻そう。

熊楠を知っている人なら南方曼荼羅として多くの人が思い浮かべるであろうこの図、実はマンダラそのものではない。

これにはまだマンダラの構造をあたえられてはいないのだ。中沢氏の言葉を借りればこれは「高次元的な曼荼羅の運動体の、三次元的な切断面を示しているもの」だ。それがもう一つの次元、つまり曼荼羅の構造を与えられるのは20日ほど後8月8日の書簡をまたなければならない。

では、この図によって南方が言いたかったのか。これは「事理が透徹して、宇宙をなす」と書かれた南方曼荼羅のモデル図のようなもので、森羅万象をつくりあげている「諸不思議」同士をつなぐすじみちの可能性がしめされているものだ。

・熊楠は「心」や「物」や「事」や「理」の「諸不思議」が、複合しながらも、多元的な全体構造を作りなしていることを表そうとしているのである。この宇宙では、いっさいの事理が、全体構造の中で、運動を行い変化を起こしている。

・知性はその全体構造をつくりだしている「理のすじみち」をとらえることのできる能力を与えられている。なぜなら、人の知性自体がこの全体運動の中から生み出されてきた物であるからだ。

・人間の知性は、たがいに異質な不思議同士が出会ったり、結び合ったりしているところだと、関心を引きつけられ、そこに集合している事理の数がおおければ多いほど、より早く、より簡単に、すじみちを認識できるような仕組みになっている。

これを現代的に言えば、知性は差異のあらわれるところで最も活発な認識の働きを行う、ということ。図の(ロ)のような現象はそのままではそのつながりを見出すことが難しいが、それが(チ)や(リ)と出会って、そこに差異が生まれる時、初めて認識できるようになる。これは、レンマ哲学や現象学における、存在を「対立」ではなく「差異」においてみようする態度とも重なる。

そして本書ではあまり触れられていないが、こうした様々な因果や縁が多く交わる地点(イ)は萃点(すいてん)と呼ばれる。自然原理が必然性と偶然性の両面から交わる萃点をおさえると多くの物事の筋道をたどることができるため、あらゆるものがつながり合いの中で生じる縁起的の世界で、つながりを紐解く手がかりとなる地点とされる。「南方熊楠・萃点の思想(鶴見和子)」では、ジャック・モノーの「偶然と必然」やチャールズ・パースの「実存的偶然性」の概念と並び、重要なパラダイムの転換として評価されている。

そしてさらに、この空間を遠くかすめて飛行する線(ヌ)、その外側に彗星のようにある線(ル)はそれぞれ「理不思議」と「大不思議」を示している。

ごちゃっと線が集まり描きこんであるところは、いわば「可知」の空間であるが、それに対して(ル)、つまり大不思議になると可知の世界には手がかりがほとんどないため、その本質を滅多にとらえることができない「不可知」の領域だ。ところが、人間の知性はそういう場合でも、(オ)や(ワ)を手がかりに「理不思議(=ヌ)」と出会い、大不思議(=ル)の本質を推測することができるという。ようは、推論する力ということだ。

・「理不思議」には、認識したり記述したりする力だけでなく、未知のものの存在を予言したり、予測したりする力もある。人間の知性には、可知の世界の表面に顕在化されてこないものまでも、推論の力によってとらえることができ、その推論が表現にまで達すると、今まで世界の表面からは隠されていた何かの実在があらわに浮上してくることになる。

・π中間子の発見プロセスが良い例で、そこでは推論の力が、未知の素粒子をこの世に引き出した。湯川秀樹はその時に働いていた力を「存在の理法」と呼んでいるが、熊楠に言わせれば、その「理法」は「物不思議」である物質的実在に内在しているだけではなく、物質と知性の両方を巻き込みながら活動をつつける、宇宙の全体的ロゴスそのものにほかならない。

・人間はいかにして自分の生きている世界を生きるのか。熊楠は巨人の足取りで一歩一歩ことの中心に近づいていく。

南方マンダラの全体構造 – 無意識の集団記憶や共同幻想の発生のメカニズム –

こうした思考を経て、熊楠はついに明治36年8月8日の書簡で「南方マンダラ」の核心にたどりついていきます。

・熊楠はまず、宇宙の全体運動そのものである「大日如来の大不思議」からいかにして「心」や「物」が発生してくるのか、そのプロセスを描こうとしている。

・それによると「心」と「物」はこの宇宙にもともと別のものとして発生してくるのではなく、・宇宙の全体運動である「大日如来の心」から「物界」と全く同時に「心界」が生まれてくる。

・「大日如来の大不思議」をあらわす「心」というのは、ここでは人間の「心界」と「物界」を、ともどもに巻き込んで全体運動を行う、高次元の叡智的な実在を示している。だから、「大日如来」をあらわす「心」と、アーラヤ識を土台にしてその上に複雑な構造をつくりだしている、人間をはじめとする有情の「心界」とは、本質的に異質なものなのだ

・現代の宇宙論は空間も時間もない初期宇宙に起こる「量子ゆらぎ」から、空間としての宇宙とその中の物質がつくりだされていると説明している。同じことが、意識を持った生き物の心界にもおこるのだ。

・金剛大日の中にわきあがる否定性の「ゆらぎ」によって、アーラヤ識がひろがりとしてつくりだされてくる。そこしてこのアーラヤ識を土台として心的宇宙が生まれてくる(人間のように複雑な意識を持った生き物の場合、アーラヤ識は無意識の土台をかたちづくる)。これが、熊楠の言っている「大日滅心の作用」なのだ

このあたり馴染みのない言葉にうぐっとなってしまう場合はふーん、そういう考え方があるのか程度でよいかと思うのですが、「南方マンダラ」は華厳思想や真言密教を土台としているので「大日如来」とか「アーラヤ識」とかがでてきます。

「アーラヤ識」は大乗仏教における唯識の概念の一つで、眼(視覚)・耳(聴覚)・鼻(嗅覚)・舌(味覚)・身識(触覚)・意識・末那識に続く、8つ目の最深層とされています。個人存在の根本にある、通常は意識されることのない識のことを指しているそうです。深層意識ともいえます。八種の識は総体として、ある個人の広範な表象、認識行為を内含し、あらゆる意識状態やそれらと相互に影響を与え合うその個人の深層意識の領域をも内含するとされています。大乗仏教の「空」の思想が土台。

「大日如来」は真言宗の最高位の仏様のことでですね。あらゆるものが生まれてくる宇宙そのものと考えられていて、大日如来の知徳の世界を表現した「金剛界曼荼羅」と慈悲の世界を表現した「胎蔵界曼荼羅」があります。この二つは表裏一体となっていて、合わせて両界曼荼羅と呼ばれます。たまにでてくる「金剛界」や「胎蔵界」という言葉はここからきているわけですね。

さて、ここからが本題。
南方マンダラの全体構造を著したのが下記の図ですが、これだけではなんのことだかわからないので中沢さんの解説と共にみていきます。

まず、「事」というのは「心界」と「物界」が出会うことで、泡のように絶えず生まれては消えていくわけですが、その時に「名」や「印」とよばれる痕跡を世界を残していくと熊楠は考えます。

・「事」は「心界」の働きが、「物界」のプロセスと出会い、まじわり、接触しあうところに生み出されてくる。それは、発生したり、消滅したりする。「心」と「物」は耐えることがない。それは金剛大日の「心」から、たえまなくわきあがる力の変転として、あらわれるものだから、瞬時として止まることがないのである。

・ところが「事」については、そうではない。心界と物界のまじわりがほどけるとき、その境界面上にいったんうまれた「事」は絶えることになる。そして、「事」は絶えて「名」を残すのだ。

・「事」は発生したり、消滅したりするが、それ自体に力を内在させている。そしてその力は世界に何らかの痕跡をつくりだし、それが「名」として残ると熊楠は語っている。しかも彼のいう「名」とは、単なる物の名前ではなく、言語や習慣のような無意識の深層構造のことをさしている。

民族とか共同体の習慣や無意識の原則として、くりかえし起こる「事」は、アーラヤ識の中に、エクリチュールとして痕跡を残していく(熊楠は「名」の発生が、アーラヤ識におこるということを強調するため、それは、胎蔵界の大日如来中におこるプロセスだ、と書いているのだろう)。そして、これが習俗のラング(言語体)を形成するものになっていくのだ★

「名」とは、単なる物の名前ではなく、言語体や民族習慣のような無意識で共有される深層構造のこと集団記憶や共同幻想とも言い換えることができるのではないでしょうか。

言語や習慣のような「ラング(言語体)」は、集合的な無意識に構造を与える。その構造はさらに個人のアーラヤ識にフィードバックして、そこに社会化された個人の深層構造を作り出す★★★

・ラングというのは、もともと実態を持っている物ではなく、アーラヤ識の中に内臓されている抽象的な構造だ。言語にとってのラングだって、それが声や文字による言葉としてあらわさない限り、無意識の中に潜在したままである。それについては「名」の場合も、全く同じだ。それはアーラヤ織に刻み込まれた、具体的な実態をもたない痕跡なのである。

・それはもう一度「心」にうつしだされることによって、「印」を生み出す。「名」が抽象的な構造だとすると、「印」はまたそれにイメージの物質性を付与した、具体的な象徴を表している

このあたり、少しややこしくなってきましたが、ここを理解するには本書にもある通り音楽を例に考えるとわかりやすいのではないでしょうか。

人間は音楽を聴いて、そこにはない抽象的な構造を理解して、音の流れを音楽として楽しんでいる。音楽にも「名」のレベルがあるが、その構造を時間の流れの中で展開して、実際の曲として作曲し演奏する具体的な音楽がなければ人間はそのような「名」の実在を感じ取ることもできない。

例えば「ベートーヴェンの第九」といえば多くの人に伝わるが、ではその実態はどこにあるのかというとなかなか難しい。我々は「ベートーヴェンの第九」という言語や楽譜、その時々のオーケストラが実際に演奏する音楽があってはじめて「第九」の存在を感じ取ることができるわけだが、それらはあくまで「名」に物質性が付与された具体的な実態であって「第九」そのものではない。これを熊楠は「印」と表現するわけである。オーケストラの演奏を聴いて楽しむことができるのは、音楽が「名」、つまり記憶として我々のアーラヤ識(無意識)に刻み込まれているからに他ならない。

だから、音楽でも、「事」の連鎖によって刻み込まれた「名のレベル」と「印のレベル」が共存し合っている。熊楠は「大不思議」にはじまって、ついには「印」にまでいたる、複雑な構造とプロセスをこの書簡で包摂し描きききろうとしたわけである。

中沢さんはこの「名」と「印」の発生が、エクリチュール(パロール=話し言葉に対する哲学用語)の発生について語っていると言う点で、現代の哲学にも重大な意味を持っていると書いています。

・熊楠によれば、こういうものについては、西洋の科学でも哲学でもなんとも解釈のしようものない不思議な実体だという扱いを受けているが、それは心物事の作用力がアーラヤ識の中につくりだす、エクリチュールの痕跡がもとになっている「無意識の深層構造」にほかならない。

・だから、それは哲学や科学によって、探求することのできる現実なのだ。西洋的エピスメーデーの内部にとどまる限り、なかなかこういうレベルをひらくのは難しい。ところが、真言密教によれば、それは実践哲学の鍵を握る重要なポイントとして、すでに古くから探究が進められていた問題なのだ。★

・南方熊楠の発想は、現代の構造人類学と同じ視点に立っているどころか、それを超えている。アーラヤ識に刻み込まれる「名」の痕跡を出発点しており、つまり、エクリチュールに出発し、エクリチュールに帰着する。そのため構造主義には、そのような「名」が発生してくる前に存在している空間の様子を捉えることができないのだ。★★

・南方曼荼羅は、来たるべき人類の学問の土台は、エクリチュールの前空間にすえなければならない、と提案しているのだ。そこは、空間や物質が生成され、「心」が生まれ、「事」の世界が形成され、その「事」の中からエクリチュールである「名」が生まれてくる、全てのプロセスを包摂している。そこではせせこましい学問のジャンルというのは吹っ飛んでしまっている

・熊楠の考えでは、この「南方マンダラ」にしめされているような全体構造をもつことがないような学問は、人間にこの世界の実相についての不十分な知識と認識しか与えることができない。たとえば、西欧の学問では「物」や「事」は論じられていても、エクリチュールの論である「名」や、それをもとにした抽象活動である「印」をめぐる全体理論が欠如しているので、結局必要以上に問題は難しくこんがらがってしまっているようにみえてしまうというのである。

ここに熊楠が直感していた西洋科学や哲学の限界が浮かび上がってくる。「事」の本質に踏み込んでいくことをせず(「心理学といえども、物不思議を離れず)、因果律のみを追求していく知の枠組(フーコーのエピスメーデー)だけでは、「名」が発生してくる前に存在している空間、すなわち「事」の連鎖による世界の実相の様子を捉えることができないのだ。

だからこそ中沢さんは「南方マンダラは、来たるべき人類の学問の土台をエクリチュールの前空間にすえなければならないという提案なのだ」という。

数学者・岡潔が「自然科学はそもそも自然科学は自然の存在を主張することができない。数学は自然数の「1」が何であるかは知らない。」ことを指摘し、心の力を理解する必要があるとして「情緒」の世界に踏み込んでいった道筋と重なる。

こうしてようやく南方マンダラのマンダラとしての構造の全容が浮かび上がってきた。これを真言密教のマンダラ理論と対応させながら描いたのが、先ほどの図なのだ。

個人的に面白いと思うのは南方マンダラが、社会における集合的な無意識の発生と個人の世界認識の相互作用を紐解く手がかりを与えてくれること。資本主義や無限成長、機械論的パラダイム、近代個人主義、所有の価値観など現代社会に深く刻まれた共同幻想を解いていかなければいよいよ立ち行かなくなっているタイミングに僕らは差し掛かっているからだ。

・熊楠がこれをかいているのは1903年。まだ構造言語学も精神分析理論も知られていない時代に、未来の学問の全体像を透視しようとしていたのだ。

・そういう学問は、まだ本当にはつくりだされていない。あらゆるものが、いまだにあたらしいものに向かっての変化の過程にある。だが、「南方マンダラ」は、その変化の過程に、進むべき方向をしめす海図を提供してくれる。

偶然性や全体性を包摂する「縁の論理」

そして実は「南方マンダラ」には、まだもうひとつ、語るべき重要な側面が残されています。それが「縁の論理」。はい、もうだいぶお腹いっぱいだと思うのですが、ここまできたのでもう最後までいきます。

これまで不思議の体系やマンダラの構造について書いてきましたが、「縁の論理」は内部で起こっていることを紐解くための力学の論理。

「縁の論理」は、この曼荼羅の世界の内部に入った時に、そこで起こっていることを解読するための特別な論理の方法であり、またマンダラのあらゆる部分がこの論理によって動かされている。

高速度で動く世界では、相対論のやり方を使わなければそこで起こっていることを理解することができないように、南方曼荼羅の内部で起こっていることは縁の論理によらなければ理解できない。

熊楠は、縁を因果との関わりの中で次のように書いています。

「因はそれなくては果がおこらず。また因異なればそれに伴って果も異なるもの、縁は一因果の継続中に他因果の継続がざん入し来たるもの、それが多少の影響を加えうる時は起、故にわれわれは諸多の因果をこの身に継続しおる。

縁に至りては、一瞬に無数にあう。それが心のとめよう、体にふれようで事をおこし、それより今まで続けて来れる因果の行動が、起動をはずれゆき、またはずれた物が、軌道に復しゆくなり」

「故に、今日の科学、因果は分かるが、縁が分からぬ。この縁を研究するがわれわれの任なり。しかして、縁は因果と因果の錯雑して生ずるものなれば、署員が総体の一層上の因果を求むる」
(明治36年8月8日「往復書簡」)

平たく言えば、縁の論理は、一つ一つの因果系列(必然性)の中に別の因果系列が入り込むことで生じる偶然性の論理であり、マンダラの構造体を変化と変態の側面から捉えようとする力学の論理のこと。

・マンダラは力の構造体なのだと言えるかもしれない。その力は曼荼羅のいたるところで変化を作り出すのである。因と果はその変化の容態を示す概念なのだ。

・しかし、南方マンダラで起こる全てのプロセスは単純な因果の関係におさまることがめったにない。様々な力が出会い、交差し、入り交じりながら、「心物名事」の4つを複雑に組織して、森羅万象の現実ができあがっている

ひとつの因果の継続の中に、別の因果の継続が入り込んできて、そのために「縁」と呼ばれるもっと高度な変態が発生してくるようなやり方で、曼荼羅の全体構造は動き、変化していることになる。夥しい因果の系列からは、つづけざまに縁の系列が生まれ、縁の連なりの中から、宇宙の変化が絶え間なく起こり続けている。

・つまり、「縁の論理」というのは、マンダラ構造体の全体を動かしている力の流れそのものを、関係のセリーとして表現しようとしたものなのである。

熊楠は宇宙そのものとしてのマンダラを、まず「諸不思議」の集合として捉え、次にそれに「マンダラ構造」をあたえ、最後にこの「縁の論理」によって、その構造体に実際の運動と変化の力学を捉えようとしました。

レンマがロゴスを含んでいるように、縁の論理もまた、因果を否定するのではなく包摂している。熊楠は、因果(必然性)のみで世界の実相を捉えようとする当時の西洋自然科学の限界を乗り越える鍵が、仏教の縁など偶然性や全体性を包摂した東洋哲学論理や真言密教のマンダラ思想の中に潜んでいることを直感していて、だからこそ科学は仏教哲学と融合することで、現代学問の限界を乗り越えていけると考えていたわけです。

ということで、最後に中沢さんの言葉を。

「南方マンダラ」は、全く一つの生命体なのだ。それはどこまでも深く、たえまなく変化し、運動を起こし、人間の知性によってはとらえつくすことのできない神秘な秩序を保ち続けている。那智の山中に「森の人」となっているとき、熊楠の頭脳はそのような宇宙の「森」を、一つのマンダラとしてくっきりとみていたのである」

次回は、熊楠が那智の森で粘菌と向き合いながらたどり着いた観察と生命システムの本質について「粘菌とオートポイエーシス」を紐解いてみたいと思います。

森のバロック