混生密生の曼荼羅と収穫による生態系への介入[協生農法実験記録17]

前回も投稿した春日部の協生農園。
たった一ヶ月半で見違える風景が少しづつ立ち上がってきました。
上が10月4日。下が11月12日。


植物たちの生命力が溢れんばかり。
表土が覆われてくるだけでも様々な変化が起こっていきます。
これまでいくつかの土地で協生農法のスタートアップをお手伝いさせていただいてきましたが、この時期&この短期間でここまでの風景が立ち上がってくるとは驚きました。

協生農法(およびシネコカルチャー)について
「協生農法(シネコカルチャー)」は、食糧生産と環境破壊のトレードオフや、人か自然かの二元論を乗り越えて、生態系が本来持つ力を多面的・総合的に活用する生態系構築技術(詳細はSony CSLのHP )。学術的には、人の営みが生態系構築および生物多様性の回復に貢献していく「拡張生態系」という考え方に根ざしています。(株)桜自然塾の大塚隆氏によって原型が創られ、Sony CSLの舩橋真俊氏によって学術的定式化がなされています。

ご興味ある方はEcological Memesで開催しているセッションの様子や記事もご覧ください。
生態系の“あいだ”を回復・構築する「協生農法」とは?
地球の生態系に包摂された生命として人はどう生きるのか 〜自然と人の“あいだ”を取り戻す協生農法〜
EMF21レポート② シネコカルチャー(協生農法)とは何か【前編】
人間と自然の共繁栄のかたち。生態系を拡張させる「協生農法」の実践
・拡張生態系のパラダイム – シネコカルチャーの社会実装の契機をさぐる-(舩橋真俊氏) 

【シネコカルチャー実験記録の記事一覧】
耕作放棄地で協生農法をはじめました[シネコカルチャー実験記録①]
植物は生長に必要な物資を自ら調達する~横に伸びるトマトと協生農法実践マニュアル~[シネコカルチャー実験記録②]
遠野で協生農園を訪問。美しき緑の焚き火。[シネコカルチャー実験記録③]
畝をつくらない区画をつくってみた。[シネコカルチャー実験記録④]
結実過程のドラマ。オクラ、ピーマン、トマト、ジャガイモほか。[シネコカルチャー実験記録④]
全36科87種。Scrapboxで協生菜園の植生リストをつくってみました。[シネコカルチャー実験記録⑤]
二子玉川のコミュニティ畑プロジェクト「タマリバタケ」で協生農法はじまります [シネコカルチャー実験記録⑥]
ベランダでもできる小さな生態系観察。協生プランターのすすめ [シネコカルチャー実験記録⑦]
種から種へ。自家採種を通じてみえてくる植物の姿と枯れの凄み。[シネコカルチャー実験記録⑧]
タマリバタケの協生菜園のその後<秋分〜冬至>[シネコカルチャー実験記録⑨]
協生菜園で育てた蓼藍で生葉染め、そして種取り。植物の生命力を身にまとう。[シネコカルチャー実験記録10]
協生菜園に春がきた<タマリバタケの冬至〜春分>[シネコカルチャー実験記録11]
協生農法の生みの親・野人ムーさんのところに行ってきました[シネコカルチャー実験記録12]
無肥料・無農薬でも虫に食われないのはなぜか。混生密生の多様性がもたらす縁起と恵みの実感。[シネコカルチャー実験記録13]
埼玉・春日部の農園で協生農法をご一緒にやりたい方を募集しています。[シネコカルチャー実験記録14]
春日部にて協生圃場プロジェクトがスタート。秋分の集いにて[シネコカルチャー実験記録15]
不耕起栽培、ゲイブ・ブラウンの土を育てる、拡張生態系における人の役割と希望。
混生密生の世界と収穫による生態系への介入[協生農法実験記録17]
かすかべ協生農園のお野菜詰め合わせセット販売
※このブログは、個人の実験的な観察・実践記録であり、公式なやり方や内容を記載しているものではありません。

不耕起、無肥料、混生密生にも関わらず(本当は、だから、なのですが)、生命力溢れる植物たちの姿に参加者の皆さん色々感じてくださった様子。アブラナ科やキク科の葉物だけでなく、ニンニク、そら豆、スナップエンドウ、じゃがいも、フェンネル、ほうれん草、パクチー、ナスタチウムなども旺盛な芽生え。ブルーベリーたちも美しい紅葉をみせはじめました。

水も肥料もあげてないのにこんなに植物って育つなんて!と驚いてくださる方も多くて。
確かにここのところしばらく雨も降っていなかったですし、普通そう思いますよね。

協生農法マニュアルには「植物は生長に必要な物資を自ら調達する」といったことも書かれています。アフリカのサヘル地帯(砂漠)のブルキナファソでも実証されているわけですし、日本のような土壌の水分量が比較的多い気候帯(どんな場所でも少し掘ればある程度の水分は含まれている)では間違いなく植物たちが「自ら調達する力」を阻害(過保護)しないことの方が大事だなと感じます。

収穫という生態系への介入と観察

コンディションが整ってきたので、この日はまず収穫についてお伝えしました。
生態最適を図る協生農法では、収穫して終わりではないので、「間引き収穫」が基本ですが、
やりながら常々とても大切だな感じているのが、この収穫という行為もまた、生態系への介入であるという認識です。

ムーさんのところに伺った時に、協生理論はエネルギー(生命力)の理論だと仰っていたのがとても腑に落ちたわけですが、収穫を通じてその生態系にどのように関わるかによって、その後返ってくるフィードバックが全く異なるからです。

物理的な空間スペースが生まれたり、風の通り道・流れ方が変わったり、陽の当たり方や雨水の流れ方が変わったり、全体のバランスが変わったり。単一種を集中的に収穫すれば、当然その場の多様性のバランスも変わります。個体最適を目指すのであれば育って収穫したら終わりとなるわけですが、その植物単体のみでなく、各ポータル、区画、農園といった場の全体性を感受した上で場に関わるだけで、驚くほどに起こることが変わります。

そのために必要なのは、兎にも角にも観察です。
とにかく徹底的に観察すること。

一つ一つの植物の様子や個性、虫たち、鳥たちや小動物の痕跡、雨や風や空気の通った跡、土壌の様子や生態系全体のバランス、気の流れ。ミクロからその場全体のマクロまで。個別の事象と同時に、その系全体で一体何が起こっているのかをとにかくよく観察すること。そしてそこから生じてくる直感による全体性の把握です。

複雑な全体を複雑なまま理解する知性の重要性が語られることも増えてきて、だからこそあえて大事だなと思うのは、ミクロな事象をつぶさに観察することをおろそかにしてはいけないということです。縁起的世界というのは単純な因果だけでは説明できない(それらが錯綜する)絡まり合いなのであって、因果が消失しているわけではないからです。そうした因果が幾層にも重なり合う、世界の理への糸口になるところを明治時代の民俗学者・植物学者 南方熊楠は翠点と呼んだのだと思いますが、そこに直感ややりあて(これも熊楠の造語)によって至る手前では、粘菌をはじめとする膨大な観察と直入(これも熊楠用語です…)を通じて、頭であれこれ考えるのではなく、世界に深く入り込み、ただただ起こっていることを受け入れるという営みがあったのではないかと思っています。そんなこととも重なって、混生密生の畑が曼荼羅にしかみえなくなってくるわけです…

…熊楠の話はとまらなくなるので、話を戻します。

これまでの経験上、特に今回のような地域の多くの方々にご参加いただくようなコミュニティ農園を立ち上げる場合、植物や農に関する知識としてお渡しすることももちろんさせていただいていますが、それと同時に非常に大切にしているのが、こうした自然生態系や植物たちと関わる態度をお伝えすることです。身体感覚をひらき、つぶさに観察し、世界に深く入り、全体性を自らの感性を持って把握しようとする態度。生態系が本来持つ力を引き出し多様性を回復していく方向へ介入し、自然界からのフィードバックに真摯に耳を傾けながら、常に謙虚に相互作用を続けていくという営みである(もちろんこんな小難しい言葉では伝えません笑)。

時間軸は様々ですが、介入すると生態系は必ず何かしたの応答(フィードバック)を返してくれます。それを受け取ってまた関わっていく。いわば、仮説検証の繰り返しです。そうした動的な相互作用の中でしか出会えない世界がある。森と人のあわいをひらく森づくりを実践されているWO-unさんのインタビュー記事とも通じるかもしれません。

ちなみにここでいう観察は、客観的な第三者としての観察というものだけでなく、主客二元論をこえたあわい的観察も含みます。つまり、生命システムや生態系の営みに向き合おうとする時、観察者自身がその世界にひらかれていなければならないということ。このあたりは建築家 クリストファー・アレグザンダーが著書の中で書いていることとも共鳴します。

・…この生命の強度を測るとき、現代科学において慣例的な方法とみられている「客観的」手法は通用しません。実用的結果を得るため、私たちは私たち自身を計測の機器としなければならない。それは(必然的に)人間の観察やその観察者による自身の内面の観察に依存してしまうという新しい形態の計測方法なのだ

・観察者自身の体験をその「システム」を測る物差しとして使用し、その「システム」の生命の強弱の客観的強さを測定する

自分たちの内面的なフィーリングや「全体性」について注意を払うと、外部世界の状態の強さが私たちの「全体性」を高めている事実に気づきます。…私たちのフィーリングは単に主観的で変わりやすいものではなく、それ自体が信頼できる道具であり、このフィーリングを感じている時の状態は客観的真実の源となるのです

クリストファー・アレグザンダー『ザ・ネイチャー・オブ・オーダー 建築の美学と世界の本質ー生命の現象』

ネイチャー・オブ・オーダーについては2019年のEcological Memes春分フォーラムにも出演くださった慶應大学 井庭先生が教えてくださったもので、日本語訳は井庭先生のものをお借りしています。

だから、いつもまずは畑にかぶりついて、直接食べてみてもらいます。
食べてみて、うまいか。野生の生命力に溢れているかどうか。
自分の身体がどう感じるか。そこに喜びが立ち上がるか。
それこそが生命システムと向き合う大きな手がかりだからです。

なお、念の為補足しておくと、人の身体感覚や体感知はもちろんスケールの限界もありますし間違うこともあります。だからこそ船橋さんたちは複雑系として協生農法や拡張生態系を研究され、人の体験に依存しないかたちで、メガダイバーシティ(超多様性)をAI・テクノロジー的に扱ったり、協生農法環境におけるロボティクスを導入していくための研究を進められているのだと思います。

大地は常に再生する可能性を秘めている

ということで、なんだかすっかり長くなってしまいましたが、お昼はたっぷりの間引き葉物ミックスと土鍋ご飯。間引き収穫だけでもなかなかの量。

どなたかが「これを食べちゃうと、スーパーで買う野菜の味がピンボケしている感じがする」とおっしゃっていてまさに。まだしばらくは生態最適への移行期間なので協生農法的な味に出会えるにはもう少し時間かかると思いますが、僕は協生農法で育てたルッコラを食べた時に、市販のものとは比べ物にならないピリッとしたワイルドなスパイシーさに衝撃を受けました。梶さんが持ってきてくださった対馬のごま油とお塩も最高で、もう間引き菜だけでご馳走です。紛れ込んだブロッコリーの葉が柔らかくて予想以上に美味でした。

最後に。
娘は相変わらずエネルギー全開で駆け回り畑でもだるまさんが転んだをしていました。
子どもたちは本当に素直に世界を感受するんですよね。

協生畑や農園をやっていて僕がとても好きな瞬間が、子どもたちが植物たちにかぶりついたり、突っついたり、ちぎったり、もいで食べたり、虫と遊んだり、蝶々とダンスしたりしている様子をみているとき。こうして工業化された食品ではない、大地から湧き上がるいのちとしての植物たちと関わり、出会い、コミュニケーションをとっていくことがこれからの(食)教育や社会の何よりの礎になると思っているというのもあるし、何よりシンプルにその姿がとても温かくて美しくて喜ばしい。子どもたちが本来もつその姿に、すでに知っている自然との関わり方に、大人こそ学ばなければならない。

大地というのは常に自ら再生していく力、自己組織化した生態系回復力を秘めている。そこにいかに人が積極的に介入していけるのかというパラダイムへのシフトそのものがリジェネレーションの根幹であるわけですが、その生命の根源的な何かが溢れ出してくるような瞬間に立ち会う度に感動してしまいます。それがたとえ、小さな一粒の種の芽吹きだったとしても。

その場所に関わる人たちが少しでもそれを感じ続けていられる入口を、
その土地や地域にその入口がひらかれていくように。
そんな願いを込めながら、今日も手を合わせる。

その日の午後はひろさんが持ち寄って下さり、君の根はの上映会も開催してくださいました。
ありがとうございました!

[今後の活動日]

・11/25(金)10:00〜12:00 ※ログハウスでのランチはなし
・12/10(土)10:00〜12:00 ※食べたい人はそのままログハウスでランチ
・12/22(木)15:00〜17:00 ※その後、希望者で懇親会?

ご参加されたい方はInstaでDMいただけたらと思います。