UNESCOユースフォーラムに日本代表として参加して感じた3つのこと

UNESCOユースフォーラムに日本代表として参加して感じた3つのこと

 
先日、UNESCOのユースフォーラムというものに、日本代表として参加してきました。いろいろと感じたことがあったので、その記憶をこれからやってくる忘年会の嵐の中に置き忘れないように記しておこうと思います。

お題は3つです。

1. 世界の若者の課題意識と日本の震災復興

2. 現場で感じた”国際会議”の課題とファシリテーターの重要性

3. グローバル人材なんていう言葉を越えた、ローカルな視座の必要性

 

1. 世界の若者の課題意識と日本の震災復興

〜シチズンシップ教育、持続可能な開発、地域コミュニティ〜

一応このフォーラムの説明をしておくと、本フォーラムは、ユネスコ総会に先立って、参加加盟国から1名ずつのユース代表がパリのユネスコ本部に集い、総会に若者からの政策提言文書を提出するための国際会議です。若者が国連組織の政策決定の過程に公式に関与できる唯一の機会だそうです。

 今回のフォーラムは、『若者と社会包容:市民参加、対話、技能開発』というテーマのもとに議論が進められました。

特に焦点が集まったのは、若者の社会参画を促すシチズンシップ教育、公教育における様々な能力開発の充実、 若者の就職難対策の充足などです。社会の周縁に置かれた若者達に対する教育の充足についても活発な議論が行われ、インフォーマルな教育組織の重要性なども提言に盛り込まれました。

教育システムの充実度や失業環境などは異なるものの、 ICTやアントレプレナーシップ、持続可能な開発など、自分たちで未来を切り開いていくための教育を充足させてほしいという姿勢は、どの国にも通じる部分であったように思います。

また、基本的な人権保障の文脈において、コミュニティの重要性が語られる場面が幾度かありました。話をしてみると、衰退してしまったコミュニティの活性化や、社会的に周縁化された人々の地域への巻き込み方などに課題意識を持っている若者も多く、日本が震災復興の中で蓄積してきた、市民を巻き込んだ地域経済の活性化や雇用創出の知見は、災害の多寡に関わらず多くの国で活かしていくべきだと感じました。

先日インタビューした三菱商事復興支援財団の方や、R-SICという社会的事業のカンファレンスで出会った東北関連の方も、蓄積してきたノウハウや方法論を他の文脈に活かしていく(replicateする)ことの必要性に言及されていました。もうすでに、フィリピンに向けてそういった動きをしている組織もありますが、この文脈で日本が世界に対して果たせる役割は大きいのではないかと強く感じました。

参考:【Voices from SOCAP】大企業から、インパクトのある資金循環を。(三菱商事復興支援財団の方をインタビューさせて頂きました)

 

2. 現場で感じた”国際会議”の課題とファシリテーション

政策提言の最終文書化を進める中で、地域あるいは言語圏ごとの協調・対立構造が徐々に浮き上がってきました。

アジア諸国からは単独の発言が多く、コンセンサスに至らないものも多い中、ヨーロッパの数国が、事前に合意を合わせ、複数国でまとめて提言を主張し、数と発言力(語学力)で議論を主導。一方で、アフリカ各国は、スクリーンに映し出される提言書の修正を英語ではなく、フランス語でも行うべきだと主張します。ラプラチュール(議長)は、数の多い地域、声の大きい国のみでなく、各地域、各国から平等に声をあげてほしいと会場に訴えかけます。アジア各国や中南米等のスペイン語圏、そして太平洋諸島各国も地域ごとにまとまり、提言を主張しました。(自身のメモより)

 こういった場では、どうしても地域ごとあるいは言語圏ごとの対立になってしまいがちです。しかし、本来は地域圏とは関係のないはずの議題にまで、その対立構造が持ち込まれ、本質的な議論が進められないことも多くありました。

勿論、(極端な話をすれば)国際会議の目的は議論をすることではないのかもしれませんが、これは国際機関だけではなく、あらゆる組織体の意思決定構造において起こりうる課題なのではないかと思います。

重要なのは、それはもはや利害調整でさえない、ということです。本質的な利害から離れた関係性の中では、協調・恊働・創造は生まれません。もっと言うと、それが故に対立せざるを得ない状況に陥っていると思うのです。

イノベーションが求められているか否かに関わらず、多くの状況においても大切なのは、お互いの立場を尊重し、無意味な対立を避けて、意見を交換すること。その上で、どうしても利害が対立するのであれば、決められた意思決定の方法に従って調整すること。そして、それを実現するためには、様々な利害関係者の意見を上手く集約しながら、その場で共通のビジョン・合意を形成していくファシリテーターの存在がとても重要となるのだと改めて感じました。

シーンは少し違いますが、 フューチャーセンターの急募!社会を変えるファシリテーターが足りない!などにも、セクターを越えたファシリテーションの重要性が書かれています。

 

3.グローバル人材なんていう言葉を越えた、ローカルな視座の必要性

公式な国際会議の場であるだけあって、各国から刺激的な代表が集まっていました。

5つの国連公用語を流暢に操り、24歳でビジネスとエンジニアリングの修士を持つ、聞いたこともないような名前のカリブの小さな島国の代表や、超高速回転の脳みそと、ずば抜けた行動力で世界からリソースを引っ張ってきて、ローカルコミュニティのための事業を展開するアフリカのとある貧困国の代表。はたまた、韓国や日本の社会研究が専門で、イスラエルの外交官のアドバイザリーに入って働いている元プロ野球選手。

彼らと話をしていて思うのは、グローバルに活躍している(いく)人ほど、ローカルに想いを馳せて向き合っているということです。グローバル人材なんて言うちっぽけな枠組みなど必要のない、世界と当たり前のように向き合っている彼らのストーリーは、常にローカルな地域の人々や家族に根っこをはっていることを強く感じました。

自国の人々や文化や思想、そしてローカルな地域コミュニティと向き合うことは、グローバルな舞台にたつ上でとても重要だと思います。特に、国だけでなくて、地域のローカルな人々・コミュニティにまで深く下ろした視座はこれからさらに大切になってくるだろうと感じています。

その理由の一つは、経済とか行政とか金融とかエネルギーとかの中央集権型の構図は、10年後、20年後には少しずつ分散していくのではないかと思っているからです。小さい経済圏がいくつもあって、一応国で統制はしてる、さらには地域と地域(例えば地方都市)が物理的な障壁を越えて、世界中でつながってきたりする、というような未来です。一極集中よりはクラウド的な意味でも強いし、小さいから出来ることはたくさんあります。そうなってくると、マイクロなコミュニティは自分の居場所としても、外への拠点としてもますます大切になっていきます。

少し話はかわりますが、シリコンバレーで働くShuさんのブログに、とても興味深い記事があります。

衰退している国や会社の一員には、発言か離脱という二つの選択肢があります。発言、すなわち「たたかう」とは内側から変革を起こすこと。それに対して離脱、すなわち「にげる」とは外に出て新しい会社や社会構造を作ったり、敵対する会社や国に行くことです。

ビジネスの世界では、お客様にとって「たたかう」は苦情を言うこと、「にげる」は付き合いをやめることです。

会社員にとって、「たたかう」は会社に残ること、「にげる」は辞めて起業することです。

そして市民にとって、「たたかう」は投票をすること、「にげる」は移住することです。

つまるところ、「にげる」とは代替手段という意味です。競争、起業、移民などの概念も、すべて「にげる」に帰結します。「にげる」とは、政治家にならずに、または暴力に手を出さずに、悪政から身を守る唯一の方法です。

引用:Yコンビネーター主催のイベントに参加してから、「たたかう」と「にげる」について考えるようになったという話

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話を戻すと、

グローバル人材の必要性とか、若者の内向き問題といった言葉が、(世間一般でイメージされる意味合いで)呪文のように唱えられていますが、ローカルな地域や伝統産業と向き合って、内側からたたかって人々を元気にしている人がいる(その技術や産業や文化がある)からこそ、他の人が外向きにエネルギーを発信することができるのであって、

言葉を拝借すれば、「にげる」人は「たたかう」人に力を与えるだけでなく、「たたかう」人がいるから「にげる」ことができるという状況もあります。

もっと言うと、外を向く前に、内側を向いてたたかう経験はとても大切だと思うのです。つまり、ローカルなコミュニティや人々ときちんと対峙していないと、外の世界と意味のある対峙を実現できないのではないでしょうか。それはどこか、仏教的な自己内省観とも通ずるところがある気もします。

ローカルな視座を養っていかないと、それこそ「グローバル人材」なんて本末転倒だし、自分たちの持つ思想や文化を語れなければ(そして語れるだけのローカルを育くむ人がいなければ)、特に(自分たちの思想ベースを前提に話をしてくる)西欧人とはコミュニケーションに齟齬が生まれます。

グローバル人材一辺倒ではなくて、社会との様々な関わり方がある中で一人一人が心地の良い生き方を見つけていける機会が増えればいいなと思います。

ロワール地方のアンボワーズ城にて

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今年から公募になったユース日本代表、枠が一名ということで厳しいかと思いましたが、このような機会を頂けたことにお世話になった多くの方に本当に感謝をしています。貴重な経験でした。

日韓や日中、さらにはイスラエルとアラブ諸国など、国家間の課題と向き合い、自国の利害を越えて、議論をする経験は、国家間対立や平和というものへ想いを馳せるきっかけになります。

このフォーラムだけではないですが、韓国の若者と私たちの知るそれぞれの「事実」が異なることを知り、多くの人に「ドイツは謝ったのに、どうして日本は謝らないのか?」という質問を投げかけられ続け、そしてイスラエルとヨルダンの代表がいつの間にか笑いながら肩を組んでいる光景を見る。そんな体験はいつも、多くの葛藤と喜びと、そして矛盾を突きつけてくれます。激動の時代を生きる私たちだからこそ、見えてくる世界や大切な生き方もあるはずです。

なお、今回の政策提言文書は、11月5日 ~ 20日に行われたUNESCO総会に公式文書として提出されました。提言文書はこちら

激励を頂いた文科省加藤国際統括官

 

UNESCO本部から望むエッフェル塔