森のバロック②:分ける知性の呪縛から解放する「南方粘菌学」-枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け-

森のバロック②:分ける知性の呪縛から解放する「南方粘菌学」-枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け-

2019年のEcological Memesフォーラムで使用したビジュアルボード

粘菌って菌類ですよね…?

南方熊楠は、博物学や民俗学の分野での近代日本の先駆者的存在であると同時に、生物学、特に粘菌研究者としても知られているわけなので、そういう話をしているとたまに聞かれることがあります。

が、粘菌は菌類ではないんですよね。菌というとカビなどの真菌を思い浮かべますが、そうした菌類とは実はまったく別物。

粘菌が菌類でなく、植物にも動物にもおさまらない生き物であるということを理解すると、なぜ熊楠が生涯を「生と死を分離できない生きた哲学概念」としての粘菌研究にささげたのかということの一端がみえてきますので、今回はその話。

中沢新一さんの森のバロック・第五章「粘菌とオートポイエーシス」を参考に、南方熊楠の粘菌研究と生命観について掘り下げてみたいと思います。

【森のバロックシリーズ記事一覧】
森のバロック①:南方マンダラの世界をのぞいてみる-無意識の集団記憶や共同幻想が生まれるメカニズム-
森のバロック②:分ける知性の呪縛から解放する「南方粘菌学」-枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け-
森のバロック③:生命システムを内部から観ようとする南方生命論とオートポイエーシス -なぜ食べると食べられるは同じことなのか-

[関連] 複雑系の時代を生き抜く知恵 〜 南方熊楠の星の時間/中沢新一 〜

生と死を分かつことのできない生きた哲学概念としての粘菌

森のバロックの内容に入る前に、粘菌について少しだけ。

真核生物の分類としては動物界・植物界・菌界が有名ですが、現在粘菌はそのどれにも属さないアメーバ動物の一種とされています。

湿気の多い時期には枯れ木の肌に取り付いてアメーバとなって移動しながら捕食活動を行う動物的な性質をもちながら、乾燥期が到来し生活環境が悪くなるとアメーバであることをやめ、胞子を含んだ美しい色の茎を伸ばし繁殖する菌類・植物的な性質をあわせもつ生き物。

熊楠は、ロゴスや分類学的な知性からはみだしてしまうその姿に、レンマ哲学を重ね合わせ、「生と死を分離できない生きた哲学概念」としての粘菌研究を通じて生命の実相に迫ろうとしました。このあたり、中沢さんの「熊楠の星の時間」もぜひ。

なお、熊楠の研究対象にしたのは粘菌の中でも変形菌、真正粘菌と呼ばれるもの。以前に梅雨の森に変形菌探しに連れていってもらったことがありますが、森などだけでなく、意外と身近なところでも出会うことができるそうです。

生態系を支えているのは一般的に「生産者」「消費者」「分解者」とされていますが、実はバクテリアや菌類を捕食する粘菌は、植物や動物の腐敗のスピードを調整して土壌の保湿力を保つことに貢献しています。このことを、「南方熊楠の見た夢」など素晴らしい著書を書かれている唐澤大輔さんは、「生産者」「消費者」「分解者」に加えて第4のグループ「調整者」と呼ばれています。

隠花植物の浮上と粘菌の再発見が生物学にもたらしたもの

熊楠の粘菌研究の意味合いやドラマにもう少し深く触れるには、当時の博物学や「バイオロジー」と呼ばれ出した新たな生命の学(生物学)の歴史的背景を理解する必要があります。

そのあたりが「粘菌とオートポイエーシス」に素晴らしく書かれているので少し整理してみます。

19世紀後半になると、苔、地衣類、キノコなどの隠花植物や、もっと原始的な真菌類の分野が植物学者たちから脚光を浴び始めます。複式顕微鏡の普及によって、既存の生物分類(例えば植物と動物という分類)の体系秩序におさまらない驚くべき生命生態系を目撃することになったからです。

粘菌が生物学に登場してきたのもこのような時代。もちろんそうした奇妙な存在自体は認識されていましたが、粘菌の形態と生態が注意深く観察され、バイオロジーと呼ばれるようになった新しい生命の学問(生物学)にとって、その異常な生態が極めて重要な意味を持っていることに植物学者・ナチュラリストたちが注目するようになるのは1830年代ごろだといいます。

最初は菌類学者によって「腹菌」などと命名され、動物のような行動をしているようにみえるだけであって、当然菌類だと思われていましたが、観察が進むに連れてさらにやっかいなことがわかってきます。

・苔やキノコのようなふつうの菌類の場合には、胞子は菌糸をつくる。ところが、粘菌の場合には、菌糸をつくらずにその中から単細胞のアメーバがあらわれ、そのアメーバはさないより集まって大きな「変形体」をつくりだし、この変形体は原生動物そっくりの子実態が生じてきて、アメーバは胞子への分化を起こすのだ。つまり、今度は粘菌として振舞うわけである。

粘菌は、このように原生動物と菌類の特徴をあわせもっている。「食菌」という名前はいいすぎにしても、この生物をただ「粘菌」と呼ぶだけでは、あきらかな原生動物としての特徴を無視してしまうことになる。

・分類学のオーソドックスな考えに従えば、多細胞生物は外から有機体をとるやり方の違いによって、植物と菌と動物の3つの界に分けることができる。植物は光合成を行って、有機体を自分の中で作り出すことができるが、これに対してクロロフィルをもっていない菌は、他の有機体を分解して吸収することで生きている。そして、動物は他の生物を捕食する機能を発達させている。

・この考えを使うと、粘菌はまず菌から出発した生物で、そのうち進化の袋小路に入ってしまい、動物と菌の境界に歩み出してしまった変わり者の生物だと考えてみることもできる。だが、困ったことに、菌から動物にせよ、動物から菌にせよ近づいていこうとした生物など他には発見できず、進化系統の中のどこにも位置付けることができないのだ。

・こんな生き物は他にはめったにいない。粘菌は分類したり、体系づけたりする知性にとってはまことに手強い生き物なのだ。

原生動物と菌類の特徴をあわせもった粘菌。現代の生物学者でさえ「植物界、菌界、動物界のいずれを見渡しても、粘菌のもつ形質を発展させたと思わせるような生物群は見当たらない。このことから粘菌は粘菌として地球上に誕生して以来、進化の行き止まりの中を今日までをいきのびてきた生物群であるように思われる」と書かざるを得ないのだといいます。

分類的な秩序から、目には見えない生命力を主題とする学問へ -認識論的転換と呼応する粘菌-

さらに、粘菌の登場には、生物学だけにとどまらず、当時の西欧に進行しつつあった認識論の大きな転換と関係したもう一つの重要な意味があると言います。

・それは認識論(エピスメーデー)上の問題に関係している。つまり、粘菌の奇妙な生態は、当時の西欧に進行しつつあった、認識論的な大きな構造転換と、みごとな対応関係をしめしているのである。

・この時代にはまだ隠花植物の体系的な研究ははじまったばかりで、昔からの生物界を動物と植物に分ける分類法では、あきらかに植物の中に分類されていた。ところが、顕微鏡観察は、動物と植物の境界的生き物としての粘菌の本質を表現しようとして、変形体が行う動物的な破壊者としての側面にスポットライトをあててしまった。★

・古典主義時代の博物学の女王は植物だった。とくに顕花植物こそが選ばれた女王だった。顕花植物は茎や葉や花の構造の中に自らの生命活動を誇らしげに、おしげもなくさらしてみせてくれる。博物学は、顕花植物の表層に現れた特徴を「読む」ことによって、自然の意味の世界として、とりあつかうことができたのだ。

・ところが、19世紀にはじまる近代の新しい「生命の学(バイオロジー)」にとっての中心点は動物に移行する。このバイオロジーにとっては分類することはもはや二次的な重要性しかもたなくなる。

・より重要なのは、生命体の奥底で、生命を維持しているに違いない「ある種の力」の原理を取り出し、それをもとにして進化という名前の、自然の「歴史」をさぐっていくことになるのだ。解剖学(キュビエ)た生理学(ベルナール)がこの「ある種の力」に近づいていく手段となる。

・またこの認識上の変化によって、古典主義時代の博物学的秩序の世界では語られることの少なかった、生命を突き動かし、その活動に統一を与えている「目に見えない力」についてかたることや、生命の本質が内と外から死におびやかされる動物的な生のうちにこそ見出されると考えられるようになったとき、生気論はようやくバロック時代の夢を再び語ることが許されるようになった。

つまり、陰花植物の浮上と粘菌の再発見は、近代の生物をめぐる認識上の大きな転換点に呼応していたと。近代以降、生命を語る時にはつねに死や反=自然のテーマの影が付きまとうことになった背景に、植物から動物への(あるいは顕花植物から隠花植物への)中心点の意向があったというのは面白い。

そんな中、粘菌は「秩序にみちた植物学の秩序体系に裂け目を生じさせ、破壊と欲望に深く繋がれた動物性の、あからさまなかたちの侵入を意味するものにほかならなかった」のだという。

そうして時代の焦点は「植物的な生が代表していた分類的な秩序を扱う学問から、自分の内部に動揺をはらんだ、目に見えない生命的力動を、真実の主題とする学問へと、近代の認識論が大きく転換していった」というわけです。

・粘菌の生態の魅惑は、ひとつのアンヴィヴァレントをはらんでいる。目にもあざやかな子実態を形成し胞子をとばすまでの粘菌は、典型的な陰花植物として穏やかな植物学の秩序の中に居場所を見出すこともできるだろう。ところが、この胞子を破ってアメーバがあらわれ、集合して変形体をかたちづくるに至るや否や、植物学の秩序体系に非連続的な裂け目が走ることになる。

・アメーバ状の集合体は「食べる」ことをはじめる。植物的な菌の外殻を食い破って、なかから一つの動物があらわれるのだ。動物と化した粘菌は、他の生命の食いつぶしをはじめる。粘菌の動きにつれて、あたりは静かな殺戮の現場とかしていく。しかし、ひとしきり動物の生を堪能したあと、粘菌はふたたび植物的な形態をとりもどしていく。

・重要な器官を表面の可視的な構造として示す顕花植物は、分類学的な秩序をもとめる知性にふさわしかった。これに対して動物では、生と死をめぐる絶えず動揺と変化をはらんだ不可視のプロセスが知性に主題を与えてきた。

・だが、隠花植物は、そのどちらでもない領域をひらいてみせる。隠花植物の内部空間にナチュラリストたちがみようとしていたのは、「植物的生命の本質」ともいえる領域だった。

・澄んだ植物の世界に異様な動物性の匂いを運び込んでしまった。植物学者たちははじめそれを否定しようとして、まず菌に分類した。しかし疑問は大きくなる一方で、独立の属を与え分離しておくことにした。だが、より詳しい観察は、粘菌の生態から動物性を消し去ることは不可能であることに気がついた。粘る菌は、原生動物と菌との境界上に、奇妙な位置づけを与えられた。

・この時代、生命をめぐる学問は、その中心点を植物から動物へと移行した。つまり、植物的な生が代表していた分類的な秩序を扱う学問から、自分の内部に動揺をはらんだ、目に見えない生命的力動を、真実の主題とする学問へと、近代の認識論がおきく転換していった。まさにその時代に、植物的形態を破って、内側から動物的な生命形態が出現する様を、あらわにしてみせることによって、その転換の本質を他のどの生物よりも鮮明なかたちで見せしめたのである。

余談ですが、3歳の娘からは「ぶどうの本」として愛読されています。笑

驚異を凡庸へとすり変えてしまう知性のたくらみから解放する「南方粘菌学」

ここまで粘菌の登場の意味を整理してきましたが、熊楠が粘菌研究に没頭し始めるのはこうした時代の最中。熊楠は、時代の流れを敏感に嗅ぎとっていたのか、20代前半にはすでにその関心を隠花植物と粘菌に集中するようになっていたそうです。

では、熊楠は粘菌の存在をどのように捉えていたのでしょうか。

・熊楠は粘菌が動物であると断定できる理由を、次の二つの点に求めている。ひとつは胞子の中からでてきたアメーバ状のものが、たがいにより集まって変形体をつくるという粘菌特有の行動パターンは、原生動物にはみられても、植物界にはみることができないという点。だが、やはり重要なのは、粘菌が捕食を行うという第二の点だ。★

・この存在そのものが重要なのは、それを分類学上のどこに位置付けるかという「古典主義的関心」にあるのではない。生物形態の内部の空間に目で見ることはできないが、それによって生命の活動が統一を得ているはずの一つの力の場が実存するに違いないと近代生物学が動物を通じて探究してい流主題を、ひとつの植物がもっとエレガントなやり方で示しているのが粘菌なのだ。そこに、粘菌の持つ、現代の生命探究にとっての重要性がある。だからこそ、それを「動物」といわなければならない、粘菌の動物性こそがこの生物の現代性と魅惑の源泉なのである

・ここには南方熊楠のアジア人的な感受性を、はっきり感じ取ることができる。西欧のように植物の観察から分類の体系を学問としてつくりだすことよりも、植物の中に秘められている、目に見えない「気」によって、動物の体に健康と活力を得させるための実践の学問を本草学としてつくりだしてきた。

・こういう感受性に恵まれていた熊楠にとって、植物(または菌)でありながら、原生動物そっくりの活動を行う粘菌は、生命の本質を沈思するのにうってつけのまさに形而上学のための生き物であった。

しかし、このように生命の本質を、外形の違いではなく、生命論の不可視の内部空間を統一している力の中にこそ探求すべきであるという風に考えるとすると、従来の分類学の存在理由は大いに揺らいで来ざるを得なくなる。熊楠は生物の分類ということをどのように考えていたのか。

昭和3年3月29日 上丸宛書簡には「自然界に属の種ということは全くなきと悟るが学問の要諦に候」と書かれているそうです。これはどういうことでしょうか。

・熊楠にとって言葉(分類学の体系)と物(生命活動)の二つの系列はたえざる動揺のうちにある。粘菌類は生物界の特異点として、たったいまも変化の最中にある。それは、自分とは異なる生命形態を、自分の内部から産み出し続けようとしている。すべてが変種、すべてが中間種、すべてが異態というのが粘菌類の実態なのである。

粘菌の世界が、人間の前にはっきりと告げていることは、固定化と金太郎的なホモジニアス的な体系内増殖に向かおうとする分類という言葉の体系と、生命体の内部で起こっている活動や変化とは、おたがいにもともと異和的な関係にあるもので、ふたつが一致するなどというのはありえないことなのである。

・熊楠はここですでに完全に近代的思考の外側にいる。分類学は生命の本質に迫るための手段ではあっても、決してそれが目的となることはあり得ない。生命の内部空間を凝視しなければならないのは、粘菌だけの問題ではなく、生物界全体に当てはまる重要な事実なのだと熊楠は考えた。

このあたり、熊楠が指摘していた西欧的近代学問の限界とも呼応しているように感じます。熊楠は、新種の発見などに象徴される分類学的行為が持つ2度の標準化の操作に警鐘を鳴らしていました。

・まず、生物の「特徴」を言語化する際である。その時に使われる言葉は、既に分類多渓山隊の側から決められているからそれだけで「特徴」は標準化の操作を受ける。つぎに、そうやって記述された「特徴」を分類体系の中に位置付けるときである。その体系の中に位置づけられたとたん、新種はもはや新種ではなく、体型がその存在を予測し、しかるべき空白を開けておいた場所におさまった「あらかじめみいだされたもの」に変貌してしまうのだ。

・これは「途上」であったはずのものを、絶えず「既知」のものに還元していく知的なシステムにほかならない。新種発見に夢中になっている間にナチュラリストたちは驚異を凡庸に変えていく巧みなシステムの虜になってしまっていたのだ。

・そのために、熊楠とその弟子たちは、おびただしい数の新種/変種を作業用の「仮のもの」として設定することにした。どのような変異をも見落とさないための一種の予備処置で、学術的な発表は行わないものときめられていた

・こうして得られた膨大な変異の観察記録をもとにして、異体の可能性をできるだけ細かく調べあげ、それによって種の定義をより精密なものにしていくという作業をおこなおうとした。そうすることで、巨大な変奏曲の変換群のひとつとして、痛いとしての独自性を輝き出せるようにした。

・この南方粘菌学のラジカルで雄大な構想は、未完成に終わった。

熊楠の粘菌学は、粘菌をまず驚異にみちた生き物として、知性のたくらみから奪還するものとして構想されていたという中沢さんの指摘は本当に鋭い。そして、世界の不思議さに常に驚きと好奇心を持って向き合い続けるレイチェルカーソンのセンスオブワンダーが再び思い出されます。

辻さんの雑の思想などにも通じるものがある気がしますが、現代社会が得意とするのはカテゴライズしたり白黒明確に整理する分類学的知性。一方で、どっちつかずの曖昧さや複雑さをそのままにしておく耐性・知性は気づかぬうちに失われていきやすい。

「枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け」とは自然哲学体系「三語」で有名な三浦梅園の言葉ですが、「途上」であったはずのものを絶えず「既知」のものに還元し、驚異を凡庸に変えていく巧みな知的なシステムに飲み込まれていやしないかというのは、現代社会に生きる私たちにも未だに問いかけられているのではないでしょうか。

自己維持する有機的システムとして生命を捉える近代生物学とは方向を異にする熊楠の生命論

さて、こうして当時の西欧における新たな生命の学「バイオロジー」は、生命の可視的な特徴に対して関心をよせる伝統的な分類学から、生命をひとつの「自律体」として扱い、生物の内部で働くシステムや仕組みへと興味関心をうつしていきました。

しかし、東アジアの生命思想の影響を受け、華厳経や縁の論理を深く理解していた熊楠は、こうした西欧の近代生物学の方向に追随することはありませんでした。つまり、20世紀後半にサイバネティクスや一般システム理論に結実していくような、自己維持する有機的システムとして生命を考える思考法とは、およそ異質な考え方で、生命の本質を考えようとしていました。

次回は、オートポイエーシス論なども参照しながら、そうした熊楠の生命論に迫っていきたいと思います。

最後に余談ですが、粘菌の持つ知性についておまけ。
「原始的な知性を持っている」「学習できる」「効率的なネットワークを形成し、巡回セールスマン問題を解ける」といった中枢神経系を持たないモジホコリの知性に迫るTED。有名なのでご存知の方も多いかもしれませんが、興味がある方はぜひ。

https://www.ted.com/talks/heather_barnett_what_humans_can_learn_from_semi_intelligent_slime_1/up-next?language=ja

森のバロック