複雑系の時代を生き抜く知恵 〜 南方熊楠の星の時間/中沢新一 〜

複雑系の時代を生き抜く知恵 〜 南方熊楠の星の時間/中沢新一 〜

湘南の海を眺めながら週末に読んだ「曼荼羅の思想」、「南方熊楠の星の時間」がなかなか面白かったので備忘メモ。

前者は、柳田國男さんなどの研究でも知られる社会学者・鶴見和代さんと、空海や曼荼羅の研究で有名な仏教学者・頼富 本宏さんの対談。

後者は、柳田國男さんや折口信夫さんなどとともに日本民俗学を創出した3人のうち一人とも言われ、生物学者であり神話学者であり仏教学者でもある南方熊楠の思想を紐解いた人類学者・中沢真一さんの著書。

「生きた哲学概念」として粘菌の生態系を捉え、神話や仏教の思想構造とも紐付けながら、因果律を前提とした西洋のロゴス的な知性体系では掴みきれない、来るべき時代の学問(サイエンス)を探求し、

さらに、意識が生命や無意識から切り離され、知性が感性から切り離され、因果性が偶然性から切り離されて、人間が人間的な価値世界の内部に閉じめられてしまう(哲学者のフェリックス・ガタリの言う「精神のエコロジー」の崩壊)ことに警鐘をならした南方熊楠の思想は、

量子コンピューティングなどもまさにそうですが、因果関係だけでは紐解けない、偶然性を捉えた知性体系がより求められる複雑系×身体性の時代(本来の自然世界に社会構造が急速に近似していく時代)の生き方を考えていく上で非常に示唆深い。

あとは、

・(因果律に加えて)偶然性を含めて捉えていくために直観や身体感覚を高めていくことが重要になるが、人間の言語はどれも時間軸で秩序立てていく「線形性」を本来持っており、世界をレンマ的、直観的に把握するために言語的世界を止める訓練技術が瞑想やヨガであった

・人間が人間的な価値世界に閉じるのではなく、外に開かれつながれていくことによって、結果的に人間の精神のエコロジーが動的に保たれる(ビジネスを含めた経済や政治は人間的な価値世界に閉じていく方向性に偏りやすい)

・一括りにされがちな東洋思想と言っても、インド、中国、日本では文化的にも思想的にもそれぞれ違いがあり、特に明治以前までの神道的な考え方と結びついているという点で日本の思想には独自性がある

あたりもなるほどなと。鎌田東二さんの著書とかも含めこうして読み進めていくと、俄然華厳経が気になるなぁ、、、

(以下抜粋メモ)

——————————————————————————————————

◯曼荼羅の思想

・密教寺院などで見られる曼荼羅の思想イメージとして、私は空間性、複数性、中心性などの8つの思想的特徴を上げているが、最近特に気になるのは第二の複数性である。確かに、ある空間に立った一つの要素しかない場合は原則として曼荼羅とは呼ばない。むしろ異なった価値、異なった思想、異なった機能が併存していることが曼荼羅の本義であり、ワンマンはお呼びでない

・熊楠がロンドンにいた頃の19Cの科学は、ニュートン力学が支配的パラダイムであった。それは因果律ー必然性ーの発見を究極の目標としていた。これに対し、熊楠は因果律は必然性を明らかにする性質があるが、自然現象も社会現象も必然性だけでは捉えられないと考えた。必然性と偶然性の両面からとらえるのでなければ真実はわからない、と。仏教は因縁を説く。因は因果律であって、縁は偶然性である。従って、科学の方法論としては仏教の方がニュートン力学を超えると喝破したのである。

・インド、中国、日本の曼荼羅というのは、思想的にも文化的にも多少違いがある

・中国の曼荼羅が、胎蔵界と金剛界という風に分けたのは陰陽思想が二元論的であることに影響を受けたと書かれているのが面白い。

・インドの場合は大前提として、昔からアートマン(我)とブラフマン(梵)というものがあり、存在そのものが超越的なものであり、かつ内在的なもので、それらが結局同一であると認めるのがインドの思想の流れとしてあります

・仏教などは華厳思想のように非常に大きな世界を想定すると同時に、人間の心の中に仏がいるという形で超越性と内在性がいつも対応しながら結びつく、ヨガの発想があります。これは中国にはあまりありません。中国はどちらかというと垂直二元論というよりは水平二元論で、見えない世界と見える世界があり、それは精神と物質、あるいは陰と陽ようなカタチで表現されます。だから、中国思想の方が西欧思想に結びつきやすい

◯熊楠の星の時間

(熊楠と華厳)

・粘菌は湿気の多い時期には枯れ木の肌に取り付いてアメーバとなって移動しながら捕食活動を行いますが、乾燥期が到来し生活環境が悪くなるとアメーバであることをやめます。植物のように動かなくなり、胞子を含んだ美しい色の茎を伸ばします。ひとつひとつの胞子の中には動物性のアメーバがおいあかばっすさまっていて、湿気の季節の到来を待っているのです。

・熊楠はこのような生と死を分離できない粘菌の生態の観察を通して、生命現象が、自然科学の土台に据えられたギリシャ哲学におけるロゴスの法則に従わないことに気がついたのです。こうした粘菌を「生きた哲学概念」として立てることによって、生命の実相に迫ろうとしました。

・ロゴスは同一律、矛盾律、排中律という3つの法則で成り立っています。ところが粘菌という小さな生物は同一律と矛盾律は愚か、排中律されも破っているのである。(排中律に従うのであれば生と死は分離されており、植物と動物は重なり合わない)。近代哲学では、カントによって同一律が取り除かれ、ヘーゲルによって矛盾律が取り除かれましたが、排中律を取り除いて哲学思想の拡張を図った哲学はまだ現れていません。ところが、東洋の思想伝統では、ロゴスの3法則を全て取り除いたレンマ的な思考が、仏教の中で大発展を遂げます。華厳経はその発展の古代におけるピークを示しています

・ロゴスは語源的には「目の前に並べる」「集合させる」「言葉で言う」と言った意味を持つ。この世界に減少する事物を、集めた並べて整理する、といった意味。それが、「言葉で言う」と同じ意味になるのは、人間の言語はどれも時間軸に沿って単語を並べることによって体験を秩序立てる「線形性」を本質としているからです。これに対してレンマの方は、「手でつかむ」「とらえる」「把握する」などという語源から生まれた概念で、物事を抽象的に理解するのではなく、具体的に直感的に理解することを意味していました。ギリシャ哲学はこのレンマにもそれにふさわしい論理が内在しておりロゴスとは違うやり方で世界の理解を可能にする学的方法を作ることができる、と言うところまでは考えましたが、実際はロゴスのみが重視され、レンマの学というものは作られませんでした

・ナーガージュルナの中論によって基礎が築かれ、華厳経によって巨大な体型にまで成長を遂げたこの哲学では、同一律と矛盾律のみならず、排中律まで取り除いた練磨の論理を駆使して、あくまでも世界の事物をレンマ的な直感で捉えようとし、宇宙の実相に迫ろうとしました。この世の複雑な現象界は不思議という華厳経の概念によって整理され、一旦破れてしまった因果関係のほつれは、レンマの論理から派生する「縁起」によって、きちんと編み直されました。

・ここからが東洋の学問の面白いところで、世界をレンマ的、直観的に把握するためには、具体的な身体を介してそのことを他県するための瞑想訓練が、カリキュラムに組み入れられていることです。具体的には、言語の働きを停止させるヨガを行います。世界はロゴスによる線形性の秩序をもともと持っているのではなく、それは起きている時も寝ている時も働き続けている言語によって構成された秩序である、と考える仏教は、ヨガによってその動きを止めて、世界の実相を見届けようとします。すると、ロゴスの知性作用によって「因果関係」を認められた現象の奥に、因果関係で結びつけられていない偶然性(蓋然性:その事柄が実際に起こるか否か、真であるか否かの、確実性の度合)の自由な運動として、この世界が作られている様子が直観的に把握できるようになります

・自然科学者として、ロゴスによる学だけが自然を理解する唯一の方法ではないことを確信していた熊楠は、仏教思想の中でもとりわけ華厳経の体系に基づく、未来の学問というものを構想しておりました。

(3つのエコロジー思想)

・神社の整理統合によって、神官の経済的立場は大いに改善されましたが、これを機に神道は内面的な変質を遂げることになります。それまで神道は決して道徳の側面を持ちつつも、道徳を超えた価値、すなわち人間世界の外に広がる自然と宇宙に開かれた価値に通路を開いていました。ところが、それ以後の日本神道は、道徳的な側面を前面に出して、それ以外の「人間ならざるもの」の領域につながっていく要素を隠してしまう傾向を持つようになります。

・伝統的な神道は、人間世界の秩序を守る祖霊的な神々と、このような非人間的な神々を組み合わせる複論理を用いて、宇宙の全体性を丸ごとつかみ取ろうとしていました。「神社整理」から「神社合祀」に至る流れの中で、近代日本の神道界が行おうとしていたのは、伝統的神道の保っていた宇宙的な全体性を分解して、秩序と道徳の機能だけを残して、神道の一翼を形作ってきた非人間領域への通路を破壊してしまうことでした。

・神社の建物は石造りの教会などと違って、木造で粗末だけれども、その代わりにどの神社にも広大な森林がありました。この森林が大きな働きをしていた。境内を散歩すると住民のイアンとなりました。つまり、森に包まれた境内を歩いているだけで、心は清々しくなり、浄化されていくように感じられたものです。神社の神徳は植物相に蔵されているからです。神道の本質は建造物ではなく、建造物を取り囲んでいる森林にある、というのが熊楠の考え

・神社合祀反対運動に代表される熊楠の活動を、エコロジー運動の先駆者という文脈で捉えることも可能ですが、熊楠の考えていたEcologyは今日一般に理解されている生命科学的エコロジーを大きくはみ出す内容を含んでいます。確かに、生物学者として熊楠が一番気にしていたのは、植物世界に致命的な損傷が加えられ、それによって貴重な生物種の生存が脅かされる「自然のエコロジー」です。しかし、それと連動して、深いレベルで「社会のエコロジー」や「精神のエコロジー」における危機が進行していくことを、見落とさず、誰よりも深くそのことを理解していました。

・熊楠は人間の実存にとって、「根を持つこと」が極めて重大であることと考えていました。各地の産土(うぶすな)の神社は人々がごく自然な形で、世界に根を持つことへの直感を可能にしてきました。神社合祀は神主や政治家が気が付かぬところで、この自然な直感を破壊して、人々をデラシネ(根を持たない存在)に追いやってしまうことになります。「社会のエコロジー」レベルで起こるデラシネ化は、個人の「精神のエコロジー」にとって、さらに重大な脅威をもたらします。人と神社とのつながりというレベルを超えて、それは人間を人間世界の外から切り離してしまう働きをするからです。意識が生命や無意識から切り離され、知性が感性から切り離され、因果性が偶然性から切り離されて、人間が人間だけの世界に閉じこもって自足するようになる、そのことが人間の「精神のエコロジー」を破壊するのです。これは根源的な人間のデラシネ化にほかなりません。

・熊楠の考えていたエコロジーは、人間の精神を人間世界の外に開いていくための知恵の集積を意味していたのではないでしょうか。人間の経済はそれが求めている功利性のために自分の内部に閉じていく傾向を持ちますが、人間世界の外には自然の循環過程が、活動を続けています。エコロジーはそのような地球的な循環過程に、人間の世界を開き繋いでいくための方法を探る学問(サイエンス)を意味しています

・社会もエコロジーを必要としています。社会は自分とは異なるものとの交換を行わなければ長く存続できないからです。各個人の精神のレベルにもエコロジーが不可欠です。意識が意識の中に自分を閉ざしてしまい、無意識から送られてくる信号を遮断してしまうと、人間からは一切の創造も自由も失われてしまう。

(南方曼荼羅)

・ラカンは芸術的創造と精神的将校との関係を明らかにするために、symptomに代えてsinthomeという書き方をし、この置き換えによって、精神的将校は芸術的創造と具体的に結び付けられうことになりました

・象徴界は言語の働きと密接に結びついていますが、その言語の活動の場所は大脳言語野です。したがって、象徴界は頭部に宿っているという身体イメージがごく自然なものです。

・実証科学(ポジティブサイエンス)は現実の世界に現れた(現実化した)事実だけを集めて、その因果関係を明らかにしようとします。しかし、世界はそんな風には作られていない、というのは熊楠の実感でした。事物には、「潜在性の状態」と「現実化した状態」との二つの様態があって、現実化している事実も、実は潜在性の状態にある事実を介して、お互いにつながりあっている。そのため現実化した事実だけを集めて因果関係を示して見せたとしても、それは不完全な世界理解しかもたらさない。

・このダイアグラムはのちの時代に南方曼荼羅と呼ばれることにもなりましたが、これは仏教のいう曼荼羅ではなく、熊楠の捉えていた世界の「縁」のつながりを示すダイアグラムであり、彼が必要としていた独自の象徴界の構造図に他なりません

・華厳経では、潜在状態と現実化状態を一つに巻き込んだマトリックスの運動として、世界の実相が思考されています。物質界の「縁」の構造を探る最初の量子力学がつくられました。華厳経は驚くほどそれとよく似た考え方で、物質界と心界をつなぐ複雑な「縁」の様相を捉えようとしています。熊楠はその中に、将来の科学の形でもある「来るべき象徴界の体系」を見て取ろうとしていた

(2つの自然)

・日本文化は「自然に包摂された人間」という根本的な思想に基礎づけられてきました

・インドや中国の仏教では、「有情=sentient being」と「非情 non-sentient being」という対立軸に沿って存在者を分類します。結果として植物は非情に分類される。ところが、このような仏教思想が日本に入って来ると、境界線を自然の領域へと大きく拡大していく試みがなされ、植物までもが意識を持った存在である「有情」に含まれるように。仏教の存在論の枠組みを日本人は「アミニズム」の思考原理を持って組み替えてしまった。

・人間と動物だけでなく、人間と植物も連続しているというこの庶民的な「草木塔」の思想は、さらに芸術的に昇華されて、多くの傑作を生み出していきました。この人間と植物の連続性というのは、中世に世阿弥よって高みに登りつめた「能」の中で扱われた主題でもある。

・「人間」と「人間ならざるもの」とを分離するのではなく、この二つの存在範疇が重なりあるいわば、糊代のような中間領域を豊かに造形しようという情熱が、日本文化における創造を突き動かしてきました

・ロゴス的科学を拡張するものとして、仏教の「レンマ」の論理による学問の創造を構想していた。仏教のレンマ的論理では、ロゴス論理を基盤づける①同一律②矛盾律ばかりでなく、矛盾対立しているものを互いに排除する③排中律までが取り除かれ、それによって因果関係は縁起の関係に置き換えられる

・南方熊楠は生命の世界がこのような相即相入する全体性に従う時、安定した自然サイクルを形成するようになると考え、独自のエコロジー思想の基礎としました。

・森の作る生物はすべてが個物性を持ちながら、相即することによって情報とエネルギーを連絡・交換試合、その連絡網は森の全体に及んでいく状態を自然サイクルとして実現している。生物がそれぞれの生命現象の奥に、レンマ的な構造を内蔵しているのでない限り、このような全体性は形成されえない。熊楠はこのようなすべての生命現象の奥にセットされたレンマ構造を、むき出しの形に可視化している生物として粘菌に着目したのです

熊楠の星の時間 (講談社選書メチエ)