森のバロック③:生命システムを内部から観ようとする南方生命論とオートポイエーシス -なぜ食べると食べられるは同じことなのか-

前回は熊楠と粘菌について書きました。

今回は、森のバロック第五章より、オートポイエーシス論なども参照しながら、そうした熊楠の生命論に迫っていきたいと思います。そこには、近現代社会システムが前提としてきた「自律的な主体」に異なる角度から光を当てていくことで、個の枠組みに閉ざれた自己認識や所有の概念、他者や自然環境のあいだをゆるさない社会システムを乗り越えていくヒントがあると思っています。

<目次>
・生命をひとつの「自律体」として扱う西欧の近代生物学
・南方熊楠の生命論の4つの断片
・自律性・個体性を生命システムの内部から捉えようとする「オートポイエーシス論」
・オートポイエーシス論を手がかりに南方熊楠の生命論を探る
・個に閉じた「わたし」から、ひらかれた複数性の存在としての「わたしたち」へ

【森のバロックシリーズ記事一覧】
森のバロック①:南方マンダラの世界をのぞいてみる-無意識の集団記憶や共同幻想が生まれるメカニズム-
森のバロック②:分ける知性の呪縛から解放する「南方粘菌学」-枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け-
森のバロック③:生命システムを内部から観ようとする南方生命論とオートポイエーシス -なぜ食べると食べられるは同じことなのか-

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生命をひとつの「自律体」として扱う西欧の近代生物学

前回もみたように19世紀後半に起こりはじめた西欧における新たな生命の学「バイオロジー」は、生命の外形的な特徴に関心をよせる伝統的な分類学を離れ、生物を一つの機械として、生物の内部で働くシステムや仕組みに興味関心をうつしていきました。

そこでは、生命をひとつの「自律体」として扱い、外界とは区別された内部環境をいかに維持していくかという恒常性(ホメオスタシス)、そして自己同一性の問題が焦点となります。

生命システムとしてのマンダラ
・そこ(西欧における新しい生命の学「バイオロジー」)ではまず、生物はひとつの「自律体」として扱われようとしていた。外部の環境と自分の内部環境とを明確に区別して、内部の環境をいかに安定したものとして維持しているかという問題を、ホメオスタシスの機構としてあきらかにしようとしたとき、生理学者ベルナールの頭には、生物はどうやって自らの同一性を作り出しているかという問題意識があった。生命はいかにして、自己を作り出すか。ここにある問題意識は、西洋形而上学の生物版にほかならない。

・つまり、生物学者たちは生物をひとつの「主体」として、構成しようとしていたのである。つまり、内部か外部を区別し、内部の自己はホメオスタシスの機構を通して安定した同一性を確保し、外部から栄養となる有機物や様々な感覚情報をインプットし、それに反応して行動や情報をアウトプットする生命システムというイメージの原形がこのときにはすでに出来上がりつつあった。

・19世紀の生物学の主体論的な視点は、基本的なかたちでは20世紀にそのまま向け渡され、ついにそれはサイバネティクスや一般システム論として生命をとらえようとする現代の科学的生命論にまで展開していくことになる。

その自律体は、内部/外部の区別を持ち、内部の同一性を保ちつつ、インプット/アウトプットによって活動し、全ての過程は因果論によって決定されている一つの主体としての生命システムである。

こうした生命を一つの「自律体」として捉え、「外部から栄養となる有機物や様々な感覚情報をインプットし、それに反応して行動や情報をアウトプットする」という近現代社会の機械的生命システム観がつくられていくことになります。

なお、「新たな生命の学(バイオロジー)」といっても、当時からすれば、ということで、生命を機械になぞらえるシステム論の限界と新たな生命科学については、最先端の生命科学を探究されてきた安田洋一さんの「亜種の起源」に詳しくかつ素晴らしく著されているので是非。

熊楠は、外形のみを対象とした伝統的な分類学から、生命の内部で起こっていることに踏み込んでいくこうした近代生物学の方向を否定していたわけではありません。

・彼は新しい生命の学たるバイオロジーが、生物の体の表層に現れた「諸特徴」の解読から解き放たれて、生物体の目にみえない内部空間に踏み込んでいったことの意味を高く評価していた

・大切なのは、分類であれ概念であれ、とにかく動き流れるものを固定してしまう全ての知的な高生物とは異質なものが、生命現象の本質をなすものとして、生物体の中で不断に活動を続けているという、紛れもない事実から出発することだった。

しかし、東アジアの生命思想の影響を受け、華厳経や縁の論理を深く理解していた熊楠は、こうした西欧の近代生物学の方向に追随することはありませんでした。つまり、20世紀後半にサイバネティクスや一般システム理論に結実していくような、自己維持する有機的システムとして生命を考える思考法とは、およそ異質な考え方で、生命の本質を考えようとしていました。

熊楠の生命論の4つの断片

では、熊楠の生命論とはいかなるものなのか。

熊楠は自分の考えていた生命論を、体系立てて語ることはしなかったそうですが、書簡や断片的な記述の中に鏤められるその片鱗をつなぎあわせることで、東アジア的発想に立つ熊楠の生命論が意外なことに現代の先端的な生命思想の幾つかと、極めて多くの共通点がみえてくるのだと中沢さんはいいます。

そのことを見事に表現しているのが、昭和6年8月20日に岩田準一宛に書かれた書簡「男色談義」の文章。その内容を素晴らしく解説してくださっています。ポイントは4つ。

(1)生命現象にとって、観察者の立場は相対的なものにすぎない

熊楠は粘菌研究を通じて、生命のプロセスはそれを外側から観察するだけの観察者の理解や推論によっては、実相をとらえることができないことを悟ります。

しかし、客観科学としての立場を強化されてきた近代生物化学は、生命のプロセスに対して外側からの客観的な観察者の立場で介入し、観察者は生物を外側から観察してそこに一つの有機的なシステムが活動していると考える。そこでは、環境から自分の内部と外部を区別した「主体」としての生き物のイメージがあらわれることになってしまう。

生物を観察している人間は、それを生命の内側からではなく外側に現れた行動を観察して、さまざまな判断や推測をおこなっているのに過ぎない。しかし、それは生命の実相をゆがめることになってしまっている。

・粘菌の例のように、生命のプロセスはそれを外側から観察するだけの観察者の理解や推論によっては、実相をとらえることができないのだ。近代生物科学においては、自然環境の内部に入り込んで自然の一部と化していたナチュラリストの場合とは違って、生命のプロセスに対して外側からの観察者の立場で介入していこうとしている。これは生命の学が、自らを客観科学として打ち立てようとする要請の中からから強化されてきた立場だ。

・これが突き進められていくと、観察者は生物を外側から観察してそこに一つの有機的なシステムが活動しているというふうに考える。環境から自分の内部と外部を区別した「主体」としての生き物のイメージが、そこにあらわれるようになる。

・「主体」として行動するこの有機的システムは、外部と内部の間で情報や栄養のインプット/アウトプットを行う。これがサイバネティクスや一般システム理論のつくりあげた生命システムのイメージであるが、その原型はすでキュビエやベルナール以来の19世紀バイオロジーの中できあがっていたものなのだ。★

・熊楠は、観察者の相対化という視点から、生命プロセスに客観的な観察者なるものの介入しない、未知の生命論を模索していた。そしてその鍵が、東アジア思想たる仏教の中に隠されてあることを予感していた。

(2)生命にとって、現実と幻想のあいだに違いはない

二つ目は、生命が自らの内部から世界の現実を創り出している以上、そこに幻想との区別がつけられないという話。

・この世に生きている人間は、人間としての生命システムをもち、そのシステムに特有の感覚器官や幻想力や思考力を持って、自分のまわりに「現実」をつくりあげている。この「現実」は時代によっても、また社会によっても変化する。しかし、その変化はあくまでも人間としての生命システムの条件に拘束されている。

それぞれの生命システムにとっての現実は、幻想と一体であり、生物がいだく幻想もまた、現実を作り出すのと同じ生命システムの条件から作り出されているということになる。あるいは、こういってよければ、現実なるものは、幻想と同じように、ない。

このあたり、生物学者ユクスキュルの「環世界」や、サピエンス全史でハラリがいう「虚構」にも通じてきます。国家や貨幣などを考えてみればわかりやすいですが、基本的には人の社会は共同幻想を生み出すことで成り立っています。個体としても集団としても生命システムは様々なスケールのフラクタルの中で自ら「現実」をつくりあげることによって生きているのかもしれません。

(3)生命にとって、内部と外部の区別は意味を持たず、インプットもアウトプットもない

同様に、客観的な内と外という区切りは存在しない。

内部と外部の区別というのは客観的な観察者によって「発見された」ひとつの二次的な現実なのだ。

・生物は、みずからの内部を自ら作り出すのと同じに、自らの外部を自らの能力で創出するのだ。言い換えれば、生命は自己の境界を、自分自身で作り出していることになる。だから、そうして創出される内部と外部の境界は、生命システムの外の観察者による観察と一致しないはずなのである。★★★

生物は、開放的な有機システムとして、外部とのあいだでインプット/アウトプットを行っているわけではないということがここから導き出される。「輪廻を生きる生き物」に外部はない。彼らにとっての外部は、内部の変形されたものにすぎないのだ。だから生命システムが外部との間で情報のインプット.アウトプットをしているように描くことは観察者のつくった二次的な図式に過ぎない、ということになる。

・熊楠も熟知していた仏教の唯識哲学(すべては意識である、という考えに立つ哲学)では、こうした視点が徹底的に探求されている。そこでは六道を輪廻する有情にとって、客観的な外部というものは考えられず、あると考えるとしたらそれは単なる「戯論」であると説かれている。この視点に立つと、生命を客観化できる有機的システムとして捉える科学的理論はその「戯論」の際たるものにならざるを得ない。

栄養摂取にせよ仕事にせよ、私たちは無意識のうちに自分たちの活動をインプットとアウトプットというイメージで捉える様式が染み付いていて、そこでは「外部環境」と「自己」は明確に区別されている。だが、それは生命をひとつの「自律体」として捉え「主体」が前面に押し出されたシステム論の中で、観察者がつくった二次的な図式なのではあるまいかということ。

このあたりは、後述するオートポイエーシス論を参照していただくとわかりやすいかもしれないが、いずれにせよ、熊楠は生命システムを、客観的に外側から、ではなく、内側から捉えようとすることで全く別の世界がひらかれることを直感していたのではないでしょうか。

ここで思い出すのは、漫画版・風の谷のナウシカで森の人セルムが言う「食べるも食べられるもこの世界では同じこと。森全体がひとつの生命だから」というセリフだ。このテーマ、ナウシカを題材にしたpodcastで青木志保子さんをお招きした時にも扱っているのでよければ聴いてみてください。国分先生の中動態ともつながってきますね。

また、石倉先生と唐澤大輔さんの素晴らしい記事「外蔵と共異体」でも、食べると食べられるを二項対関係として捉えてしまいやすいことが指摘されています。石倉先生の「外蔵」という考え方には衝撃を受けました。これまで感じ考えてきたさまざまなことがすーっとつながり一点に吸い込まれていくような気がしました。。。

「食べること」「食べられること」は決して「対関係」じゃないんですよね。われわれは「食べること」を、常に恋愛や性愛関係のように、二者の関係としてモデル化しがちです。しかし、これは実は「一対多」の関係を孕んでいます。しかも、この場合「多」に対峙するのは「一」を含むような生態系全体の集合としてイメージできると思います。「私はわれわれに食べられる」とでも言えるような「多数者に食べられている」という感覚。常に地球に食べられているというか、自然に食べられているというか、自分を取り囲む外臓全体に還元されていく。それによって朽ちて、自分も、大きなものがエネルギーの一部になることができる。

外臓と共異体の人類学

(4)生命とは、生死の二元論を超えた会域で、絶え間なく続く「なにものか」である

話を戻して。4つ目のポイントは、生命というものがそもそも空間的に表象化することができないという点だ。ここは、初回でも扱ったように、世界は事の連鎖として現象しているという熊楠の世界認識が土台にあると読むと良いだろう。

・熊楠の考えでは、常識や科学がとらえている生と死は、生命そのものではなく、存在者(ザイオン)でできた世界にあらわれた状態をさしているのである。

・生が灯であり、死が闇だとしたら、生命そのものとは、同時に灯として瞬き、闇として飲み込む二つのプロセスを一つとして、絶え間なく活動を続ける「なにものか」なのだ

・その「なにものか」は空間的に表象化することはできない。しかしこの「なにものか」である生命そのものは、生と死の二元論を超えた会域(この会域がマンダラとして示されている)で活動し続けている

・熊楠は生命の学問を目指す人間には、この「なにものか」に対する直観力が必要だと考えていた。ところが「バイオロジー」となった近代の生命の学問からはますますこの直観力は失われつつあった。

・「なにものか」は19世紀の生気論が描いていたような単純で浅いものだとは熊楠も考えていなかった。ただ、生命そのものにみずからを開いていく気構えや姿勢が失われてしまえば、生物学などはただの分析者や生命を操作する技術者になってしまうのではないかと危惧していたのだという。

ここを読んでまず思い出したのは、福岡伸一さんの動的平衡

分解と破壊を絶え間なく繰り返す動的な流れの中に生命の本質を見出す福岡生命科学(動的平衡)は、熊楠のいう「生命そのものとは、同時に灯として瞬き、闇として飲み込む二つのプロセスを一つとして、絶え間なく続く活動」に迫ったと言えるのかもしれない。

漫画版ナウシカでも「生命は闇の中をまたたく光だ」という台詞が出てくるが、熊楠は生命の営みを、生や死、あるいは光と闇といった二項対立を乗り越えたところで絶え間なく続く動的なものとしてみていたということだろう。
(というか、ここまでくるとナウシカは熊楠(あるいは華厳教や曼荼羅)をインスピレーションにしていたのではないかという気さえしてくる。だって、粘菌だし…)

話を戻すと、中沢さんも指摘している通り、熊楠が「なにものか」というとき、19世紀の生気論が描いていたような単純で浅いものだと考えていたわけではないだろう。ただ「生命そのものに自らをひらいていく気構えや姿勢が失われてしまえば、生物学などはただの分析者や生命を操作する技術者になってしまうのではないか」という熊楠の危惧は、未だに現代社会が向き合わなければならない警鐘ではないだろうか。

そして、この生命それ自体がもつ「なにものか」に対する「直観力」。自身や周囲の生命の感覚や見えないエネルギーの流れを感受する力。僕は、生命の時代とも言えるこれからの世界でリーダーに求められる最も大切な資質の一つだと思っているので、熊楠がその必要性を説いていたとは感無量である。

なお、リジェネラティブ・リーダーシップでは、この力を、周囲を取り巻く環境やエネルギーの流れへのアウェアネスを高め、生態系全体を活性化させるエコシステミック・ファシリテーターに必須の能力として定義している。

熊楠も熊野古道を歩いたのだろうか

自律性・個体性を生命システムの内部から捉えようとする「オートポイエーシス論」

現代では多くの先端的な生物学者が、従来のシステム論から脱皮しようとしているわけだが、興味深いのは、熊楠が構想していた生命論がそうした試みの中から現れてきた現代の最先端の生物学のいくつかと驚くほどの類似性を示していること。中沢さんも書かれている通り、こうした熊楠の思想の現代における意義がそこにある。

本書では、そのうちの一つの例として「オートポイエーシス論」が取り上げられている。

オートポイエーシス論が、多くのニューサイエンス思想のように、(時には表面的な)東洋思想との連想の中から生まれてきたものではなく、「純然たるシステム論の内部から、むしろシステム論の極限的な形に徹底させようとする試みとして、出現していたものであるから」だ。

オートポイエーシス論はまだ形成の途上にあるとした上で、要点を次の4つにまとめられている。講演で紹介した時の資料があるので合わせて貼っておきます。

(1)生命システムは自律性(オートノミー)をそなえている
(2)生命システムは、自分の構成素をみずから算出しながら、自己同一性を維持する
(3)生命システムは、自己の境界を産出関係のネットワークの中から自分自身で決定している
(4)オートポエーシスとしてのシステムでは、インプットもアウトプットもない(自己内作動の反復)

はじめの2つの基準は、生命を主体として捉える、いままでの生命システム論の延長としてみることができます。つまり、自律性とか個体性という考えを維持することで、西欧的なシステム思考の内側から出発していることがわかります。

ここで注目すべきは3と4。

今までの生命システム論では、環境世界の中にある生命を、観察者の位置からみて客観的な一つの「自律体」として捉えようとしてきました。しかし、オートポイエーシス論は、それを生命システム自身の側から捉えようとします。自律性を持ち、個体であるという従来の生命システムの条件を内側から極限まで推し進めたときにみえてくるのが(3)と(4)だ。

「(3)生命システムは、自己の境界を産出関係のネットワークの中から自分自身で決定している」というのは、つまり、生命は自己の境界を自己同一性を保つために自ら創り出しているということ。

その境界は、動物の皮膚、眼球の表面、細胞膜などのような観察者がみる境界とは異なり、空間として表象することはできないし、境界はあらかじめ観察によって決定することもできない

それよりも、生命システムが環境との境界をどのようにして自分自身で確定し、創出してくるのか、環境世界との関係をどうやって自分自身の力でつくりだしていくるのか、ということにオートポエーシス論の関心があります。

そして、神経組織や眼球の仕組みの研究を通じて(観念だけの話では無いわけです)、(3)や「(4)生命システムはインプットもアウトプットもない」という結論にたどり着きます。

・例えば、神経システムでは、感覚器表面において、絶えることなく環境世界からの刺激を受容している。しかし神経システムの作動で行われているのは神経システムの構成素を産出、再産出しているだけであり、システムはそれ自体の同一性を保持するよう、自己ない作動を反復するだけである

・たとえ、感覚器表面に環境世界からの刺激が与えられようと、この刺激自体に対処をするように作動しているわけではない。さらに神経システムの側からみれば、このシステムの作動を引き起こしている要因が、観察者からみて内的なものであろうと外部に由来するものであろうと、神経システムはこれらを区別しないのであって、作動の要因についても内部も外部もないのである。

つまり、生命は自己の境界を、構成素を算出しながら、自己決定している。しかもこの構成素の算出自体が、生命システム自身によって、自己組織的に行われているという。

そうして作り出された「外」は、じつは「内」と見分けがつかない。ふたつの領域はメビウスの帯のようにつながっているからだ。中沢さんは、生命システムというのはどこまでの自己言及的で、「外」のないトポロジーとしてつくられている、と言い切ることもできるのではないかとも書いています。

オートポイエーシス論を手がかりに南方熊楠の生命論を探る

ここまでくると、オートポイエーシスがたどり着いたような生命論は、先にみた南方熊楠の生命観と重なり合っていることに気がつきます。

【熊楠が書簡に残した生命観の断片】
(1)生命現象にとって、観察者の立場は相対的なものにすぎない
(2)生命にとって、現実と幻想のあいだに違いはない
(3)生命にとって、内部と外部の区別は意味を持たず、インプットもアウトプットもない
(4)生命とは、生死の二元論を超えた会域で、絶え間なく続く「なにものか」である
(岩田準一宛書簡、昭和6年8月20日「男色談義」の中沢さんによる要点整理)

その類似性について中沢さんは下記のように書いています。

・仏教的な表現をすれば、熊楠の考えている生物の世界にあたっては、六道を輪廻する者たちには、まことの「外」は存在しないのである。世界システムにありとある生命は、すべてが自己言及的で、「外」をもたないトポロジーを生きている。それが、「輪廻する」ということの意味だ。それぞれに与えられた条件にしたがって、自己の境界をつくりだし、みずからの生命システムにとってだけ意味を持つ、外部の世界を産出していく★

・自己の同一性を保ち続けるように、構成素を算出したり再算出しながら、自己内作動を繰り返し行うことによって、その世界にとどまりつづける。どのような生き物もそうやって、自分の世界を生き続けようとする。

・オートポエーシス論が捉える生命の世界は、まさしく輪廻の別名である

オートポイエーシス論は、観察者を徹底的に排除することで、西欧思想の全ての産物に潜在している絶対的な観察者としての「神」を生命論の中から排除してしまった。

そうした極限的な考察の果てに、西洋生物学のいくつかは仏教のような東アジアの生命思想ときわめてよく似た構想をいだくようになり、南方熊楠の思想の持つ現代性の源泉もまたそこにあるということなのだろう。

個に閉じた「わたし」から、ひらかれた複数性の存在としての「わたしたち」へ

ここまで、岩田準一宛書簡を中心に散りばめられた南方熊楠の生命論の断片と、それを読み解く手がかりとなるオートポイエーシス論について整理してきた。今回の最後に、ここまでの考察を通じて、浮かび上がってきた主題について書いておきたい。

それは、生命システムが主体的であるとはいかなる事態なのかということだ。

19世紀後半以降、新たな生命の学として発展してきた西欧の「バイオロジー」は、「主体」の概念が伝統的土台にある。そこから、生命を一つの自律的な主体として捉えたシステム論が生まれてくるのは必然だった。

これは、東洋哲学を生命的・生気論的なものとつなげて西洋哲学と対比させるような、よくある機械論と生命論の話ではない。西欧にも当然生命の内部に対する深い洞察があったわけだが、そもそも前提としている起点が異なれば立ち上がってくる生命論も当然異なってくるということなのだ。

そして、少なくとも現代の社会システムが西欧を起点に発展してきた以上、意識に顕在しているか否かに関わらず、僕ら日本人のほとんどが、「周囲の環境から自律した主体(個人)が外部環境とのダイナミックな関係を生きる」という西欧近代の主体中心論理(あえてロゴスとは呼ばない)の上で生きているのではないかと思う。

生命が自分の内部で動的な平衡システムをつくりあげ、外の環境とのあいだでインプット/アウトプットを行なっているという生命システムのイメージを僕らは何ら抵抗はなく受け入れて生きているわけだ。

だが、熊楠の生命論は、現代社会が、生命を一つの「自律体」として捉えて「主体」を尊重するあまり、自己を極端に個人に閉じてきてしまったのかもしれないという指摘を浮かび上がらせる。現代社会が所有の概念に囚われてしまうことも、他者や自然環境とのつながりやあいだが切り離されてしまうことも、利他や共感を社会テーマに掲げなければ立ち行かなくなってしまっているこの状況も、この世界認識が根っこにあるのではないかというのが僕の見立てだ。

近代的個人としての「わたし」から、ひらかれた複数性の存在としての「わたしたち」としての生命感覚を取り戻すこと。そのための環境条件が、自己内多元性への出会いと受容、それを支えるつながりをゆるやかに保つ仕組み。これからの社会システムはそうした生命としての全体性に対する気付き(Ecological Awareness)の回復を促すかたちで生み出されていかなければならないのだと思う。
※ここでいう「わたしたちとして自己」というのは個体性や自律性の否定、あるいは全体主義への回帰を意味しない。

生命システムとしての自己は環境の中に入れ子になった存在であり、切り離すことはできない。そうしたつながり合う全体性の中で、同時に僕ら生身の一人一人が自律性を持った個体として生きているというのはいかなる事態なのかということを本気で向き合っていかないと立ち行かなくなっているのではないだろうか。

ここに、東アジアの生命思想を尊重しながら近代生命論を切り拓こうとした南方熊楠の試みに現代社会において持つ意義があるのではないかと思う。

熊楠が尊重した東アジアの生命思想では、主体は強調されない。主体は仮に存在するとしても、エッシャーの絵のように、環境世界の中に、メビウスの帯のようにして埋め込まれている

・そこでは、客観的現実なるものを相対化してみる視点が発達しており、たとえ理性をもった人間が考える現実でさえ、水に映った月の場合のように、それを幻想と区別する根拠や基準などどこにもありはしないのだ、と言い切ってしまう思想さえあらわれてきた。

そこからは、西欧のようなシステム論の考えはでてこない。ましてや、生命を一つの自律した主体としてとらえて、それが周りの環境との間に、ダイナミックな関係性をつくりあげるという、生命システムのイメージも湧いてこない。

それに仏教の場合には、単純な因果の論理も否定されてしまうから、近代の西欧的な科学がよりどころとしているものは、そこではあらかた突き崩されてしまっているのである。

では、主体を強調せず、西欧ロゴスのほとんどは突き崩されてしまうような思想世界から、いったいどうやって、東アジア思想としての独自性を失わない近代の生命論などを打ち立てることができるというのだろうか。

次回はいよいよ、現代のオートポエーシス論をなかだちに、前回、前々回でみてきた粘菌研究やマンダラの構造を掛け合わせることで、南方熊楠の構想していた生命論の核心部分に踏み込んでいくクライマックス(?)です。

<前回までの記事>
森のバロック①:南方マンダラの世界をのぞいてみる-無意識の集団記憶や共同幻想が生まれるメカニズム-

森のバロック②:分ける知性の呪縛から解放する「南方粘菌学」-枯れ木に花咲くを驚くより、生木に花咲くを驚け-